hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2023-01-01から1年間の記事一覧

『道草』を読む(9)──語りがたいもの

むろん、養子縁組を解消して手切れ金まで得た島田が、元親子の情を持ち出して健三に復縁や金銭を求めるのは欲深過ぎることで、それを追い払うのは当然であり、道義的には決して〈捨てる〉ことにはならないだろう。しかし、たとえ過度な金銭的要求を排するた…

『道草』を読む(8)──島田とは何か

健三の裡に過去が蘇ってくる。幼い頃、健三は養父母である島田夫婦とともにあったのだ。 《然し夫婦の心の奥には健三に対する一種の不安が常に潜んでいた。 彼等が長火鉢の前で差向いに坐り合う夜寒の宵などには、健三によくこんな質問を掛けた。「御前の御…

『道草』を読む(7)──「迂闊な健三」

生のただ中における認識とはいわば決断なのである。特に人事にかかわる判断は、様々な可能性の中から掴み取られ、直ちに行動へとつながる動きともなるのだ。〈語り手〉の高飛車はそれとして、一方、主人公健三の認識はどうなのか。 《心の底に異様の熱塊があ…

『道草』を読む(6) ──切実と滑稽、熱気と静けさ

ここで考えているのは、AとBの間の矛盾の解釈である。 A《けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞たる曠野(あらの)の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それが却って本来だとばかり心得ていた。温かい人…

『道草』を読む(5) ──〈語り手〉の断言と撞着

健三自身の認識を考える前に、あらためて〈語り手〉について考えておこう。すべてはその叙述としてあらわれてくるからである。少々面倒だが、お付き合い願いたい。ここで語り手に〈 〉を付けているのは、その発話がたんなる地の文というより、人称は無いなが…

あの町と、あの時

二十年前の九月、上海の小さなホテルに逗留していた。宵になってドアがノックされ、開けてみると、ホテルの主人が笑顔で立っていた。重ねた掌の上には月餅が一つ。礼を言って受取り、東の窓に寄って月を見た。中秋だったのか、と。 仕事を持ち込み、一室にこ…

【志賀直哉と小林秀雄 ── 正対された〈美〉】旧稿より

蓮實重彦はこう述べていた。 《白い山羊髭をたくわえた晩年の肖像写真や広く流布された「小説の神様」神話にもかかわらず、志賀直哉の言葉には不気味な若さがみなぎっている。彼が漱石のような現代の古典とならずにいられるのも、理不尽なまでの無謀さがある…

谷崎文学の価値とは

谷崎潤一郎は、都市生活者の視点で現代の私たちの暮らしぶりを丁寧にとらえ、見事に表現した作家です。その文学には、特別な理念や深刻ぶった主題ではなく、日常の中で生きられた喜怒哀楽や、美、陶酔、欲望までが理解可能なかたちで確実に表現されています。…

佐々木英昭作『襖の向こうに──漱石二人芝居』試演

伏見の清楚な町屋で、佐々木英昭作『襖の向こうに──漱石二人芝居』試演を観た。佐々木氏の脚本、二口大学、広田ゆうみ両氏の演技とも、期待にたがわぬ充実したものだった。 漱石の『こころ』と『道草』、さらに鏡子夫人の『漱石の思い出』をもとに組み上げら…

『道草』を読む(4) ──「昔の男」

健三が出会った男は何者なのか。 答えることは決して困難ではない。それはむしろ容易に名指すことができる相手なのである。 だが、「一」では「その人」─「この男」─「その男」─「この男」─「その人」と呼称が揺らぎ、「二」になっても「帽子を被らない男」…

『道草』を読む(3) ──出会い

そうして、最初の場面があらわれる。一人の男との邂逅である。それは、語ろうとされるものの重さを一挙に予感させる、全篇の白眉ともいうべき場面なのだ。 《ある日小雨が降った。その時彼は外套も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷…

道草』を読む(2) ──批判する〈語り手〉

『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。 《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。》一 ここで、なるほどこの男は「遠い国」を経…

『道草』を読む(1) ──待たされる読み

漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っている。すなわち、我々はそこで、漱石その人の声をじかに聴きたくなるのだ。 だが、『道…

「君たちはどう生きるか」

「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃げてきたのでしょう。宮崎駿も執着しているらしき、吉野源三郎「君たちはどう生きる…

『嘔吐』を読む(35)──一時間後(3) 対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか

ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。 《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に浮かぶ。私はいくつもの海を渡り、いくつもの町を後にした。さまざまな川を遡り、さまざ…

『嘔吐』を読む(34)──一時間後(2)はたして「アウトサイダー」なのか

《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。 往来する人でいっぱいの街路、まかせきったように軽やかに揺れうごくドレス、スカート…

「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」

三島由紀夫の言葉である。 最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより、どうやら私の裡にあった三島由紀夫に対する厭悪によるものだったようである。 評論集『…

明治3年の家族

浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。父芳柳に寄り添う面々、前妻、後妻、子ら。姿勢、表情、視線がそれぞれの胸中をあらわす。…

中也詩 遥奈の節付け

再聴、感心新たに。曲、歌唱、映像も。中也詩への、諸井三郎他「スルヤ」、大岡昇平らの曲付けは勿論だが、我等の若き同時代人、遥奈の節付け、歌唱も中々のもの。https://www.youtube.com/watch?v=99UnEyexXkY 中原中也「汚れつちまつた悲しみに」 #中原中…

BBC「テック企業トップが警鐘 AIで人類滅亡リスク」

BBC、毎日「AIで人類滅亡リスク テック企業トップが警鐘」2023年5月31日 チャットGPTトップらが ……★チャットGPTを開発したオープンAIのCEOまでが署名という。先日のヒントン博士の警告(NHK)についで、さらに。むしろ、一般素人の危惧をなだめるはずの連中が……

温顔の下に

三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ」という。名言である。だが── もう若くはない身で、なお心ばかり…

微笑み

京都伏見で人と会った。 十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。 京都で町家やビルの設計をしてきた建築士、花見小路一力の向かいにも手がけた店があるという。 五十年前、…

自装本作成者の未練

初めて出した本である。1996年2月明治書院刊、4月までに3版を重ね、翌年やまなし文学賞をもらったものだ。 全て自装。グレーと黒白を基調に赤をアクセントにと配置。赤の図柄は口紅を擦りつけたイメージで、パソコンのマウスで描いたもの。帯の文面も熟考等…

本嫌いの弁

新潮社装幀室の仕事は見事で、中でも新旧の『小林秀雄全集』と『小林秀雄全作品』は優れています。但し、新版小林秀雄全集は、本紙が美しいが薄弱、写りもあって読み難く、つまらぬ読み手を拒むが如き芸術品。他の奇を衒っただけの俗本と並べると、その冷た…

反愛書家の弁

岩波文庫もあてになりませんね。20年以上前の『人間失格』には、「痛苦」を「苦痛」とした痛恨の誤植がありました。自浄力を見ようと知らせてありませんが、どうなっていることやら。 私の印象では、近代は新潮文庫がましのようです。誤植防止、本文校訂、漢…

『嘔吐』を読む(33)── 一時間後(1) これで終わるのか

【『嘔吐』を読む(33)── 一時間後(1) これで終わるのか】 ブーヴィル滞在最後の日、図書館で独学者が少年に性的な接触をして発覚する現場にロカンタンは居合わせる。独学者が叱責され、殴打されるのを見て怒ったロカンタンは警備員を制止し、さらに逃げるよ…

『嘔吐』を読む(32)──最後の水曜日 「独学者を見つけるために、私は町中を走り回った」

ブーヴィル最後の日の記述は、「独学者を見つけるために、私は町中を走り回った。」という一文で始まる。一体、何があったのか。 独学者が図書館で騒ぎを起こしたのである。彼は閲覧室で少年たちに話しかけ、さらには一人の少年の手を愛撫したのだ。 ロカン…

『嘔吐』を読む(31)──最後の水曜日の前に、ドスト先生の痛覚

こうしてロカンタンは、ブーヴィルを発とうとするのである。 感傷にまみれることは日記では許される。むしろ、それこそが人目にさらさぬ日記の効能だろう。思い思いの感慨をもって自照し、納得するためにこそ、人は日記を書くのだ。 だが、それを人目にさら…

『嘔吐』を読む(30)──火曜日「私は自由だ。つまりもう生きる理由はいっさいない」

【『嘔吐』を読む(30)──火曜日「私は自由だ。つまりもう生きる理由はいっさいない」】 先回私は、感情が人間を動かすのだと述べた。ただし、感情、すなわち感じることは、決して考えることと切り離されたものではなく、思考と深く結びついているのである(分…

『嘔吐』を読む(29)──午後六時から土曜日、〈抜け殻〉となった男女

結局のところ、人を動かすのは感情なのだ──あらためてそう思わせられるのである。 ロカンタンは冷静に自他を認知し、識別し、了解しようとするが、われわれは、その認識過程がしばしば好悪の感情によって色づけられ、また、ふいに生じた情動によって大きく揺…