hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

谷崎文学の今日性─『蓼喰う虫』の“別れる夫婦”

【旧稿より】4月からの講座で谷崎潤一郎『蓼喰う虫』を読む予定。下記は26年前中日・東京新聞に書いたもの。基本的な読み方は変わっていないつもりだが、はたしてどうなるか。「納得」や「無思想」といった言葉がいま自他にどう響くか、確かめつつ読み直して…

『嘔吐』を読む(22)──月曜日(3)「私の思考 ma pensée、それは私だ」

https://youtu.be/7M2xHyF_wh4 《待ちかまえていた〈物〉が急を察してざわざわし始めた。それは私に襲いかかり、私のなかに流れこみ、私は〈物〉で満たされた。》 没頭していた対象が消え、自己を見失ったロカンタンは、〈存在〉に急襲されたと感じる。周囲…

『嘔吐』を読む(21)──月曜日(2)「〈物〉 la Chose、それは私だ」

「ロルボン大事件は終わった」とロカンタンは言う。 君は没頭していた対象に幻滅したのか、またしても。「一大恋愛が終わるように」──大恋愛 une grande passion、サルトルが好んで引いたという『失われた時を求めて』の「スワンの恋」のようにか。何と大げ…

『嘔吐』を読む(20)──月曜日(1) ロルボン氏は死んだ

「土曜日」の美術館での「冒険」の後、ロカンタンは案の定、脱力してしまう。 ブルジョワ連中の肖像画を逐一点検して彼らの生き方をこき下ろしたはずの若者は、日曜日は一語も書かず、「月曜日」になってこんな弱音を吐くのだ。 《もうロルボンにかんする本…

『嘔吐』を読む(19)──ブーヴィル美術館(3) ロカンタンの負け戦

断っておくが、私は『嘔吐』という小説をサルトルが後に開陳した思想の説得材料として読もうとしているわけではない。作者としてのサルトルを意識しつつ、むしろ、その哲学的また政治的姿勢──ポーズとは摩擦を生じ、齟齬を来すような小説内部の実相をこそ見…

『嘔吐』を読む(18)──ブーヴィル美術館(2) ロカンタンの苦闘

ロカンタンは、町の名士たちの肖像画が掲げられた美術館で、いったい何をしようというのか。 《私は彼のあらを探すのを諦めた。しかし彼の方は私を放さなかった。私は彼の目のなかに、穏やかな、しかし容赦ない判断を読みとった。/そのとき私は、われわれを…

『嘔吐』を読む(17)──ブーヴィル美術館(1) 名士たちの肖像画との戦い

さて、いよいよ、『嘔吐』中で最もうんざりする、また同時に、最も重厚でみごとな感触に満ちたくだり──美術館の一幕である。 「土曜日の朝」 パニックの翌日、ロカンタンは再びカフェ・マブリに行って朝食をとり、ファスケル氏はひどい流感で寝込んでいただ…

『嘔吐』を読む(16)──チグハグなパニック

行きつけの店のマスターが部屋で死んでいるというイメージにとりつかれたロカンタンは滑稽である。そのあげく、彼はパニックに襲われたのだという。 いつものように図書館に行っても不安は消えず、またカフェ・マブリに戻ってみるが、入っていくのさえやっと…

『嘔吐』を読む(15)──カフェ・マブリ、ファスケル氏は死んだのか、パニック

またしても金曜日である。ロカンタンはカフェ・マブリに行く。行きつけで、きびきびと動き廻るマスター、ファスケル氏の一種いかがわしい雰囲気がむしろほっとさせる店なのだという。 《私は独りきりの生活をしている。完全に独りだ。だれともけっして話をす…

『嘔吐』を読む(14)──さらに、若者の俗物批判を「ロウリュウ」のように

若者ロカンタンは、さらに俗物の大人、ロジェ氏の観察を続けるのだ。 《ロジェ医師はカルヴァドスを飲んだ。その大きな身体が屈みこみ、瞼が重たげに垂れる。私は初めて目のない彼の顔を見た。まるで今日あちこちの店で売っているボール紙のお面のようだ。彼…

『嘔吐』を読む(13)──単独者ロカンタン、ロジェ医師とアシル氏、マルメラードフ

さて、またもとに戻ろう。 食堂で、孤立した小男のアシル氏に見つめられてロカンタンが気づまりになったところに、恰幅の良いロジェ医師が入ってくる。なれなれしくウェイトレスに声をかける、町の名士然とした男である。 《これこそ私が見事な男の顔と呼ぶ…