hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『嘔吐』を読む(6)──「彼ら」の中の日曜日、そして海

『嘔吐』の日曜日は、『異邦人』の日曜日とは異なっている。 『異邦人』のそれは、〈勤め人の日曜日〉として印象深く読み手に迫って来る。そこには、どこにも出かけず、ベランダの椅子に跨って、ただぼんやりと通りを眺め続ける「私」=ムルソーがいる。対す…

関東大震災100年──来るべき事態への覚醒と覚悟──左翼よいずこへ

新しい年が始まって三週間が経ち、どうやら先行きが、全くの不透明さを含むものとしても、あらためて見えてきたように感じます。内外の危機・問題の厳しさはさらに増して行くことでしょう。しかし、また同時に、われわれの覚醒と覚悟も、いよいよ定まって行…

『嘔吐』を読む(5)──暗い通りと物語

すこし前に戻ろう。恰好な物語の断片が語られていたのだ。そこでは、「私」=ロカンタンが周囲へと向ける視線の動きも確認できるはずである。 《私は左に向きを変える。あそこへ、並んだガス灯のはずれにあるあの穴のなかへと踏み出して行こう。〔略〕少しの…

器量のよくて、心よし

文楽劇場で『義経千本桜』三段目を観た。実に久し振りである。第八波とはいうが、もうそろそろとの思いか客は六、七分の入り。 「鮓屋(すしや)の段」に至る前に、まずは「椎の木の段」。太棹が響き、太夫がおもむろに調子をつけながら唸りだす。 何気ない街…

『嘔吐』を読む(4)──さらに、土曜日

サルトルは『嘔吐』に「メランコリア」という題を考えていたという。デューラーの絵から、そして、もちろん「私」の心のありようからだ。 いったい、「私」(ロカンタン)には何が起こったのか。そしてそれを読んだ50年前の私には何が見えたのか。それを考え…

『嘔吐』を読む(3)──別の金曜日

私は前回、「独学者」を持ち上げ過ぎたようだ。『嘔吐』の「独学者」は、たしかに高邁な目標を掲げているようだが、同時にまた、ロカンタンを著述家とみてすり寄って来る俗人である。教養を求める彼は、決して、自分が読んだものに対して、ドン・キホーテの…

『嘔吐』を読む(2) ──『嘔吐』と『異邦人』、金曜日と日曜日

《寝ることにしよう。私は治ったのだ。まるで小娘がやるように、真新しいきれいなノートにその日その日の印象を書くのはやめにしよう。/ただある場合にのみ、日記をつけるのは興味深いことかもしれない。それは実に……》『嘔吐』「日付のないページ」鈴木道…

『異邦人』――他者との遭遇

曇天の下、一本道を行くと、向こうから女の乗った自転車が近づいてきた。マスク越しに何やら真剣そうな顔が覗いている。左の塀に沿って歩いていた私は、自転車も塀ぎわをやって来るので、手前でかわそうとして右側に移った。すると、女もつられたのか、彼女…

冬の公園

鼻風邪気味だが熱もなく、まさかコロナではなかろうと起き上がる。が、クシャミも出たのでルルならぬパブロン三錠。 天気もよいので朝の散歩。用心してゆっくり歩くと、見慣れた景色も長閑なものに変じてくる。公園のそこここには老人達。ほとんどが一人で、…

『嘔吐』を読む(1)――図書館、独学者の幻影

サルトルの『嘔吐』は図書館が舞台だ。 すべては「私」の日記という体裁である。 地方の図書館で文献調査を続ける「私」=ロカンタンの前に一人の奇妙な男が現れる。図書館に通う熱心な読書家である。ロカンタンは彼を「独学者」と名付ける。「独学者」はロ…

図書館――出会い

図書館には出会いがある。むろん書物との出会いがあるのだが、それ以外にも出会いがあるのだ。かつての公立図書館には高校生に交じって、赤青鉛筆を手に、しきりに持参の本に線引きをしている、受験生というには年かさの男たちがちらほらいたものだ。司法試…

笑顔の人

その人は、院の教え子だが私より年長の団塊世代。東京の一流企業を早期退職して地元に戻り、向学心に燃えて大学へ。他分野を学んで院へ進学、みごと博士号まで取得。今も文化センターの資料室に通って勉学続行中という。聞けば地元の旧家の出で独身。丸の内…

【旧稿より】「伊豆の踊子」の作者

「伊豆の踊子」といえば、あまりにもよく知られた作品である。川端と聞けば即座に「伊豆の踊子」と応ずる人も多いだろう。では川端本人は、生前「伊豆の踊子」の作者と目された自分をどう思っていたのか。 川端の随筆に「『伊豆の踊子』の作者」と題した文章…

ロクさんとケイさんの立ち話

「どうした、正月早々浮かぬ顔だね」「そう見えるかい。そういう君は浮いた顔でご機嫌のようだね」「浮いた顔はご挨拶だね。僕は普通だよ」「普通が一番だ。だが、いつまで普通でいられるか」「君はどうも取り越し苦労だからいけない。いずれなるようになる…

【旧稿より】猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』

書評・猪瀬直樹著『ピカレスク 太宰治伝』 辛辣な本である。だがその辛辣さ、太宰治や井伏鱒二を語って有無を言わせぬ調子には、一種の爽快感がある。読み手はぐいぐいと引っ張られ、埋もれた過去があたかも辣腕刑事のごとき著者の手にかかって無残な姿をさ…

「わけのわからぬ感想」

今日12月30日は横光忌。 これは横光利一『欧洲紀行』の一節である。横光は1936昭和11年、二・二六事件の直前、東京日日、大阪毎日の依頼でベルリンオリンピック観戦と紀行執筆のため渡欧したが、パリではかくも憂鬱な思いを味わったというのだ。それは、吉本…