hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

温顔の下に

三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ」という。名言である。だが── もう若くはない身で、なお心ばかり…

微笑み

京都伏見で人と会った。 十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。 京都で町家やビルの設計をしてきた建築士、花見小路一力の向かいにも手がけた店があるという。 五十年前、…

自装本作成者の未練

初めて出した本である。1996年2月明治書院刊、4月までに3版を重ね、翌年やまなし文学賞をもらったものだ。 全て自装。グレーと黒白を基調に赤をアクセントにと配置。赤の図柄は口紅を擦りつけたイメージで、パソコンのマウスで描いたもの。帯の文面も熟考等…

本嫌いの弁

新潮社装幀室の仕事は見事で、中でも新旧の『小林秀雄全集』と『小林秀雄全作品』は優れています。但し、新版小林秀雄全集は、本紙が美しいが薄弱、写りもあって読み難く、つまらぬ読み手を拒むが如き芸術品。他の奇を衒っただけの俗本と並べると、その冷た…

反愛書家の弁

岩波文庫もあてになりませんね。20年以上前の『人間失格』には、「痛苦」を「苦痛」とした痛恨の誤植がありました。自浄力を見ようと知らせてありませんが、どうなっていることやら。 私の印象では、近代は新潮文庫がましのようです。誤植防止、本文校訂、漢…

『嘔吐』を読む(33)── 一時間後(1) これで終わるのか

【『嘔吐』を読む(33)── 一時間後(1) これで終わるのか】 ブーヴィル滞在最後の日、図書館で独学者が少年に性的な接触をして発覚する現場にロカンタンは居合わせる。独学者が叱責され、殴打されるのを見て怒ったロカンタンは警備員を制止し、さらに逃げるよ…

『嘔吐』を読む(32)──最後の水曜日 「独学者を見つけるために、私は町中を走り回った」

ブーヴィル最後の日の記述は、「独学者を見つけるために、私は町中を走り回った。」という一文で始まる。一体、何があったのか。 独学者が図書館で騒ぎを起こしたのである。彼は閲覧室で少年たちに話しかけ、さらには一人の少年の手を愛撫したのだ。 ロカン…

『嘔吐』を読む(31)──最後の水曜日の前に、ドスト先生の痛覚

こうしてロカンタンは、ブーヴィルを発とうとするのである。 感傷にまみれることは日記では許される。むしろ、それこそが人目にさらさぬ日記の効能だろう。思い思いの感慨をもって自照し、納得するためにこそ、人は日記を書くのだ。 だが、それを人目にさら…

『嘔吐』を読む(30)──火曜日「私は自由だ。つまりもう生きる理由はいっさいない」

【『嘔吐』を読む(30)──火曜日「私は自由だ。つまりもう生きる理由はいっさいない」】 先回私は、感情が人間を動かすのだと述べた。ただし、感情、すなわち感じることは、決して考えることと切り離されたものではなく、思考と深く結びついているのである(分…

『嘔吐』を読む(29)──午後六時から土曜日、〈抜け殻〉となった男女

結局のところ、人を動かすのは感情なのだ──あらためてそう思わせられるのである。 ロカンタンは冷静に自他を認知し、識別し、了解しようとするが、われわれは、その認識過程がしばしば好悪の感情によって色づけられ、また、ふいに生じた情動によって大きく揺…

『嘔吐』を読む(28)──午後六時、「また見付かつた。何が?──永遠」

前回引用した、人が辟易するほどの長広舌は、独創的でわれわれの意表を突いてくる。 ロカンタンは、あふれかえる物の豊富さを、実は「陰気で、病弱で、自分を持てあましている豊富さ」なのだと言う──なるほど、なかなか面白い発想ではないか。 《このような…

『嘔吐』を読む(27)──午後六時、マロニエの根、「〈吐き気〉は……私自身なのだ」

【『嘔吐』を読む(27)──午後六時、マロニエの根、「〈吐き気〉は……私自身なのだ」】《そして突然、一挙にしてヴェールは裂かれ、私は理解した、私は見た。》(水曜日、末尾) 電車から飛び降りて、倒れかかるように公園のベンチにかけたロカンタンは、足下に…