hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『仮面の告白』の〈ゆらめき〉――「盥(たらひ)のゆらめく光の縁」はなぜ「最初の記憶」ではないのか              『三島由紀夫研究』3 鼎書房

一 二様の声 『仮面の告白』(一九四九昭24・7、河出書房)の中には二様の声が響いている。それは〈まだわからなかつた〉という声と、〈理解しはじめてゐた〉という声である。では、何が〈わからなかつた〉というのか? ――むろん〈異常性〉が、すなわち自分…

『愛の渇き』の〈はじまり〉――テレーズと悦子、末造と弥吉、メディア、ミホ             『三島由紀夫研究』1 鼎書房

〈おわり〉は〈はじまり〉を知るが、〈はじまり〉は〈おわり〉を知らない。〈はじまり〉は〈おわり〉の出現によってつねに凌駕されるが、〈おわり〉にとって〈はじまり〉はなお不可欠の淵源である。〈はじまり〉の悪遺伝をかこつ者も、〈おわり〉の蛇尾に歯…

三島由紀夫「遠乗会」論 ―幻滅と優雅、ラディゲ・大岡昇平に比しつつ―

青年期、私は三島文学を敬遠していた。理由は二つあったが、両者は相通じてもいた。第一に、当時私は大江健三郎に夢中になっていたので、三島を受け付けなかったのである。全作を読破したと嘯く三島愛好者が傍にいたことも私の反発を助長した。第二に、私に…

秋山駿の思い出 ―真剣勝負―

小林秀雄は、作家の断簡零墨に至るまですべてを読め、と言った。吉本隆明は、どこでもよい、自分の気になる所を読んだだけでその本がダメかどうかを判断してよい、とまで言い切った。 むろん、どちらも真であり、また、ハズレでもある。すべてを読もうとする…

あゝ、我が敬愛するトルストイ翁! ―思想と実生活論争―

「廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わった時、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるための旅に上ったという表面的事実を、日本の文壇人はそのまゝに信じて、甘ったれた感動を起したりしたのだが、実際は細君…