hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

止めようもなく

日経より どこでも死んでいるのだ、大量に、止めようもなく、延々と。 ゴルバチョフも死に、我々もいずれ、 などと、抜け抜けと呟く、今日も 老醜を晒して。

魂の試合

エリア・カザン『波止場』 イーストウッドの影響か、はたSNS上の畏友の刺激によるものか、愚生もボクシングなるものを一度は見てみたいような気になってきたのだ。 否、そう思ったのは決して最近ではなく、実は50年も前、暗闇の中で『波止場』を目にした故で…

名古屋生活

それにしても今年の夏は暑かった。 但し、名古屋の「暑さ」には、つねに大量の「湿気」が含まれているのである。 この地の湿気はまことに酷く、東京から移ってまもなく、幼時以来の汗疹が出て驚いたほどだ。なぜ名古屋はかくも蒸し暑いのか、と尋ねても、名…

団塊は何を考えてきたのか

photo: エリア・カザン『波止場』 なぜ連日のように、声高な断言によるプロテストが続いているのか。 現実の大きなデモとはならず、明確なヴィジョンも示さず、一過性の野党便乗の動きに過ぎぬとも見える。だが、それがメディアによって繰り返し増幅されるこ…

「情弱」の繰り言

https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20220824-OYT1T50195/ 昨日2022.8.24の読売・早大の世論調査結果。「賛成」58%が「反対」39%を上回り、同じ質問を始めた2017年以降、計5回の調査で初めて賛否が逆転した、という。エネルギー確保…

中也を歌う遥奈

中原中也詩の作曲 諸井三郎らの「スルヤ」の歌曲は勿論だが、我等の同時代人、遥奈の節付けと歌唱、映像も中々のものである。 中原中也「汚れつちまつた悲しみに」 https://www.youtube.com/watch?v=99UnEyexXkY 「頑是ない歌」 https://m.youtube.com/watch…

マン読みの示唆ありがたき藤村忌 茶半

photo by olsen_olsen 子育ても離散も過ぎて藤村忌 藤村忌 河童 歯車 踏み越えて花も嵐も癲狂までも なまぬるき藤村忌けふ如何にとや マン読みの示唆ありがたき藤村忌 藤村にセダンテールは喩へとも林達夫も育児ありしか 茶半 マン …トーマス・マン sédentai…

炎天を押しひろげてや大銀杏 茶半

炎天を押しひろげてや大銀杏 茶半

カルペ・ディエム

知友の投稿に Carpe Diem!(今日をこそ!)とコメントしてから思い出した。 『いまを生きる』Dead Poets Society 1989 で、青年らに向けて、そう熱く説いた好漢ロビン・ウィリアムズは、八年前に63歳で縊死、既に亡き人也と。 老生より二歳下。嗚呼、人生将に…

梅雨の街よき人逝きしと聞きて今 茶半

原稿を託した出版社の編集者が急逝、と受付で聞いて、絶句。末期がん故と。六十位か、何とも気の毒。何度か会って飲んだが、連絡先は社のみ、住所、家族など聞かず過ぐ。最近はメールのみ。そんな中、拙稿紹介の労に唯々感謝。哀悼を込めて。 梅雨の街よき人…

七五戯言

久しき後の上京に、会いたい人は多々あれど、まずは故旧とふた箇所へ。昨夜の輩、今日のそれ、その間に訪いし版元で、思いもかけぬ訃に接し、スタバで空を眺めつつ、来し方行く末胸迫り、俏し方(やつしがた)なる老生と、参じ入りたるルノアール、誰ぞや話す…

枯れたクチナシ

くちなしの色香もなしと身を寄せて いろ香なく口もなき身とやすらゐぬ 残り香のうつるともなき逢瀬かな 梔子の白く香りて一期哉 茶半

文体という仮面 小林秀雄が死んだ中原、富永を…

フランソワ・ヴィヨンOu' sont les neiges d'antan? 富永太郎訳さはれ去年(こぞ)の雪いづくにありや、 さはれ去年の雪いづくにありや、 さはれ去年の雪いづくにありや、 中原中也訳しかすがに、去年の雪今何処にありや? 小林秀雄「当麻」あゝ、去年の雪何処…

また見つかったよ。 え、何が?   永遠。

わからない、わからないよ、と呟いて見ればそこには、空と海そうだとうなずき、詩歌浮かぶ…… また見つかったよえ、何が?永遠それは海だ、ほらあそこ太陽といっしよに、彼方(むこう)へ行っちまった ランボー 紅(くれなゐ)のちしほのまふり山の端に陽の入ると…

眠れぬ夜は

ついスマホに手が伸びてしまうのだ。以前はそのiPhoneで早目の読み上げ機能にてKindle本等聴いていたのが、その後、Twitter、FacebookとSNSを始め、つい気がつけば何がなし書いているようになってしまった。さすがに全てはUPせずとも、常に発表を意識しての…

ロボットと「道徳エンジン」

書評:鄭 雄一 著『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法ー「人を殺してはいけない」は“いつも正しい”か?』 扶桑社 2018.5 ロボットと「道徳エンジン」 細谷 博 明快に説かれた、最先端の研究の紹介である。 テーマは「ロボットの道徳」、すなわ…

今日は死ぬのにもってこいの日

諸兄姉、お元気で何より。ご活躍中の諸君も。 先週帰名してより体調良好。東京二泊で十年から六十年振り迄の再会を果たし、ホッとした故か。知友への挨拶了、との思いでいるのだ。 むろん未だ終活半ばで諸々あれど、別れを告げ得たという喜びはかくもかと改…

薔薇園を流眄(ながしめ)で行く俏(やつ)し方(がた) ここはロハみち席料も無し 茶半

薔薇園を流眄(ながしめ)で行く俏(やつ)し方(がた) ここはロハみち席料も無し 茶半 俏(やつ)し方(がた)とは、中村仲蔵の演じた忠臣蔵五段目の定九郎の如き色悪。遊里に非ず、全てはロハ(ただ)なる公園をそぞろ歩む野暮なオジサンとは似ても似つかぬ、などと腐…

なんじバラ秘めたる朱唇(くちびる)今ぞここ 茶半

なんじバラ秘めたる朱唇(くちびる)今ぞここ 茶半 写真は魔物です。見えぬものまで曝け出す。ハッブル望遠鏡の幾十億年前、我がエロスの臍下数十糎迄も。恐るべし。

おゝ薔薇思ひぞ焼くるいま此処に 茶半

おゝ薔薇思ひぞ焼くるいま此処に 茶半 おゝ薔薇、汝燃えたり。紅蓮(ぐれん)地獄の焔と迄も。

木の人のなにをか庶幾(ねが)ひ挙ぐる手ぞ 茶半

木の人のなにをか庶幾(ねが)ひ挙ぐる手ぞ 茶半 「すいませーん、僕の冷やし中華まだですか。」 もとい、「儂の最期はまだじゃろかい。」

はす花のみごとに開き已みぬるか 茶半

はす花のみごとに開き已みぬるか 茶半

はちす葉の縁取られてや残りける 茶半

はちす葉の縁取られてや残りける 茶半

意識の場としての日常

photo by olsen_olsen 後に引いたのは、昨年6月に書いたものです。 要するに、村上春樹に共感してしまう我々は、意識というものを甘く見すぎているのではないか、と言いたかったわけです。そこで私は、「日常」を描いたすぐれた小説として、漱石の『明暗』を…

『ミリオンダラー・ベイビー』

Amazon prime 終了間近というので再々見。あらためて、イーストウッドは我々が既によく知っていることを描こうとしたのだと納得。 何度でも、胸中にわき上がり、波立ち、声となり、刻まれて来たはずの、あの思いをこそ、と。 フェリーニの『道』La Strada に…

「小説」というかたちーー漱石『道草』

《船に乗った時の鈍い動揺を彼の精神に与える種となった。》 漱石『道草』中の表現である。妻の実家の経済状態が悪化しているらしいと知った主人公の心中を語っているのだ。その比喩「船に乗った時の」とは、明快に足下の揺れの感触を伝えるだろう。それは、…

ダンカイ高齢世代よ、いずこへ

今年3月の国連科学委員会(UNSCEAR)の報告でも、2013年の報告とほぼ同様に、福島第一原発事故後、福島の住民に放射線被ばくによる確定的な健康影響は見られていない。将来的な遺伝的影響も予想されない、と述べられている。あれだけの大事故でも死者等の被害…

余波と残影

『海舟余波』で鮮やかに勝海舟の軌跡を描き出した江藤淳が、二十年後に『南洲残影』での悲壮感の歌い上げへと傾いたのはなぜだったのか。 「人の生は循環する自然のなかを帆を張って横切る一艘の船に似ている」というハンナ・アーレントの言から始められる海…

カルチェ・ラタンも、渋谷の街も

カルチェ・ラタンも、「舗道の下は砂浜だ」も、むろん信じはしなかった。 そこは眼前に貧乏学生のたむろする駿河台に過ぎず、パリの舗石の下にも海浜などありはしない、と。池袋のガード傍に「ここがロドスだ、ここで跳べ」と落書があったが、何処がロドスだ…

古代へのまなざし

旧稿より 書評・岡野弘彦著『折口信夫伝――その思想と学問』中央公論新社 「一番末の弟子」であり、折口信夫の晩年に起居を共した著者による伝記である。だが、これは通常の編年体の伝記とは異なり、「行きつもどりつ」しつつ、折口という思想家の大きさを探…