hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

本嫌いの弁

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新潮社装幀室の仕事は見事で、中でも新旧の『小林秀雄全集』と『小林秀雄全作品』は優れています。但し、新版小林秀雄全集は、本紙が美しいが薄弱、写りもあって読み難く、つまらぬ読み手を拒むが如き芸術品。他の奇を衒っただけの俗本と並べると、その冷たさは歴然でしょう。

拙著『漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』新典社刊は、奇も落ち着きも、と欲張って自装したものですが、装丁はバランス勝負にて中々難しいものです。

最初の本から自装と決め込んで、これまで4冊やってみましたが、フォント、サイズ、色、質感、配置、図柄、紙質、表裏背、腰巻、コーティング有無、そして何より文言、等々の按配が必要。スマホとパソコンのみ、紙見本も無しのメール指示だけではこんな所か、などと自嘲しています。

本作りになると、太宰の第一創作集『晩年』のように、いっそフランス綴じの白本に、などとまで思うものです。小説家に邪気色気は栄養でしょうが。

本とは所詮装丁のみ、本文は耳目に入り消える現象なり。美女に屍骨を思う骨相観を身につけねばと、煩悩塗れの若い頃は苦心したものです。

例えば、装丁も最低、誤植もあった未来社の旧版『現代日本文学論争史』上中下の赤本など、それこそまさに良書、と考えようとしていました。こんな安っぽい売れない大事な本はない、と。

が、いまはどれもこれも同じく見えてなりません。骨か腐肉か、はたカルシウムか炭素か、知らず。何とか肉をつけ容姿端麗に戻さんと思えど、幻滅のみ。

やれやれ、どうにかやっと本嫌いの域に達したのか、などと自嘲しています。本のみならずそも全ては所詮……とも。

#本嫌い #装丁 #新潮社 #未来社 #九相観