hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『道草』を読む(9)──語りがたいもの

むろん、養子縁組を解消して手切れ金まで得た島田が、元親子の情を持ち出して健三に復縁や金銭を求めるのは欲深過ぎることで、それを追い払うのは当然であり、道義的には決して〈捨てる〉ことにはならないだろう。しかし、たとえ過度な金銭的要求を排するた…

『道草』を読む(8)──島田とは何か

健三の裡に過去が蘇ってくる。幼い頃、健三は養父母である島田夫婦とともにあったのだ。 《然し夫婦の心の奥には健三に対する一種の不安が常に潜んでいた。 彼等が長火鉢の前で差向いに坐り合う夜寒の宵などには、健三によくこんな質問を掛けた。「御前の御…

『道草』を読む(7)──「迂闊な健三」

生のただ中における認識とはいわば決断なのである。特に人事にかかわる判断は、様々な可能性の中から掴み取られ、直ちに行動へとつながる動きともなるのだ。〈語り手〉の高飛車はそれとして、一方、主人公健三の認識はどうなのか。 《心の底に異様の熱塊があ…

『道草』を読む(6) ──切実と滑稽、熱気と静けさ

ここで考えているのは、AとBの間の矛盾の解釈である。 A《けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞たる曠野(あらの)の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それが却って本来だとばかり心得ていた。温かい人…

『道草』を読む(5) ──〈語り手〉の断言と撞着

健三自身の認識を考える前に、あらためて〈語り手〉について考えておこう。すべてはその叙述としてあらわれてくるからである。少々面倒だが、お付き合い願いたい。ここで語り手に〈 〉を付けているのは、その発話がたんなる地の文というより、人称は無いなが…