hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『道草』を読む(6) ──切実と滑稽、熱気と静けさ

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    ここで考えているのは、AとBの間の矛盾の解釈である。

A《けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞たる曠野(あらの)の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それが却って本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。》三

B《「学問ばかりして死んでしまっても人間は詰らないね」
「そんな事はありません」
彼の意味はついに青年に通じなかった。》二十九

さらに、もう一つの解釈があるだろう。
それは、これをレトリック上の問題として考える立場である。
すなわち、Aの「決して思わなかった」というのは額面通りの全否定ではなく、「人間の血を枯らしに行」こうとしている健三への強い批判をこめた表現であり、その非を指弾するために用いられた修辞に過ぎないのだ、とする解釈である。これは、やや安直な説明に堕する危険があるだろうが、『道草』の〈語り手〉をつねに冷静な絶対的存在と見ることからは離れる、という点で意味のある見方といえるかもしれない。
 しかし、ここであらためて確認するべきは、何よりその表現としての強さなのである。「自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。人間をも避けなければならなかった。彼の頭と活字との交渉が複雑になればなる程、人としての彼は孤独に陥らなければならなかった。」(三)とたたみかけるように語られた健三の「孤独」は、その「異様の熱塊」の「自信」とともに「索寞たる曠野の方角」へ「人間の血を枯らしに行く」ものとして難詰され、突き放される。ここに私は、何やら〈強すぎるもの〉を感じるのである。
 このような検討はあまりに細部にこだわりすぎているだろうか。あるいはそうかもしれない。しかし、私自身の『道草』の読みとりにおいては、AとBの齟齬はたんなる本文の論理的不備としてではなく、〈語り手〉のあり方にあらためて目を向けさせる手がかりとなったのである。
いわば、こうした裂け目から、一瞬〈語り手〉の顔つきが見えるような気がしたのだ。さらに他にも作中の諸所に、断言や決めつけの語勢を感じさせる個所がある。それは次のような部分である。

《彼は論理の権威で自己を佯(いつわ)っている事にはまるで気が付かなかった。》十

《彼は独断家であった。これ以上細君に説明する必要は始めからないものと信じていた。》十四

《しかしその痛切な頼みを決して口へ出して云おうとはしなかった。感傷的な気分に支配され易い癖に、彼は決して外表的になれない男であった。》五十

《彼の道徳はいつでも自己に始まった。そうして自己に終るぎりであった。》五十七

《「何と云ったって女には技巧があるんだから仕方がない」/彼は深くこう信じていた。あたかも自分自身は凡ての技巧から解放された自由の人であるかのように。》八十三

 以上は健三に関するものであるが、断定的表現は健三以外の人物についても見出される。

《すると彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷」の四字に訂正するに過ぎなかった。》三

《姉は自分の多弁が相手の口を塞いでいるのだという明白な事実には亳(ごう)も気が付いていなかつた。》六

《そのくせ夫を打ち解けさせる天分も技倆も自分〔細君・御住〕に充分具えていないという事実には全く無頓着であった。》十四

 これらは、もちろん各々の文脈の中で異なるニュアンスを持つのだが、並べてみると共通して〈語り手〉の高飛車な姿勢が感じられるだろう。
もう一例を見てみよう。

《「詰まりしぶといのだ」
 健三の胸にはこんな言葉が細君の凡ての特色ででもあるかのように深く刻み付けられた。彼は外の事をまるで忘れてしまわなければならなかった。しぶといという観念だけがあらゆる注意の焦点になって来た。彼はよそを真闇(まっくら)にして置いて、出来るだけ強烈な憎悪の光をこの四字の上に投げ懸けた。細君は又魚か蛇のように黙っその憎悪を受取った。》五十四

 〈語り手〉によって述べられたこうした健三や御住の強烈な描出に出会うとき、私にはこの〈語り手〉がつねに公正な観察者などではなく、むしろしばしば熱っぽい傾きをもって語る者と見えてくるのである。それは時には誇張をも辞さぬ叙述者であり、厳しい批判者であると同時に、また一面では深い同情をものぞかせる者のように感じられる。その語りはしばしば切実な調子をおびるが、またその反動として滑稽味をも感じさせる。そしてその断言の強いめりはりは、あたかも個人的な心情をともなうかのように耳に響き、読者をひきつける力をもっているのだ。
 ここでもっともわかりやすい解釈は、〈語り手〉を過去の自分を見る後日の健三として考えることである。過去の己れの執着や狭量な考えを振り返り、そのいちいちを語る〈語り手〉が慙愧の念のこもった強い口調をもつことは、ごく自然なことと考えられるからである。これが漱石その人の自叙伝的作品であるという外的条件も、この解釈を理解しやすいものとしている。
 だが、作品内世界をそのものとして見すえようとすれば、〈語り手〉を安易に後日の主人公として片付けることはできないのである。もちろん、それは明白である。しかしまた同時に、そこでは、誰ともわからぬ〈語り手〉がひょっとして自分のことを他人事として書いているのではないか、といった感じを受けとることは読者の自由というべきなのだ。
実は自分自身を問題としていながら、あえてそれを、己れを離れた者として描き、対象化しようと努める意志的な姿勢や、その切実にして滑稽でさえもある語りの感触といったものをそこに感じることは、かならずしも『道草』の世界の解釈をせばめはしないのである。
 さらに、私の場合は、くりかえし読む中で、そうした断言の快い調子や裁断的な姿勢の強さにひかれつつも、しばしば、はたしてそんなにはっきりと断定できるものだろうかという疑念が生じ、あるいは指弾された人物にむしろ同情を誘われるということが起こった。それは〈語り手〉の言葉の強さによってこそ逆方向に唆されたものであり、語りの言表の〈背後〉にある広がりや奥行きの感触となったのだ。すなわち、それらは小説の語りによってもたらされ、読みの味わいとして感受されたものなのである。
 私はこうした〈語り手〉のあり方に、はるか高みに立った視線ではなく、むしろ日々を生活する者の目の動き、その偏りや深まりといったものを読みとりたいと思うのだ。それは、つねに透徹した視線ではなく、何とか他者を理解しようとしながらも決して全き公正さや全知にはたどり着けないながらも、われわれ自身も持ちうるような目の深まりであり、人間理解である。
 『道草』の〈語り手〉はあたかも自身を語るかのように健三の傍らに寄りそい、同時にまた厳しい批判の言によってそれを突き放すかに見える。しかしまた、ときおり己をもふくめた周囲に憐憫の目を向ける健三の傍らで、ともに立ちどまる者と見えるのである。
その目は決してかわききってはいない。見すえられた健三自身や御住、姉や兄や比田、さらには島田や御常までもがいきいきと動いて見えるゆえんである。それは、むしろ人間的な情動をおびた語りというべきだろう。私は時に頼りなささえ感じるこの〈語り手〉に、一個の人間としての魅力を感じたのである。
 こうした〈語り手〉像の受けとめは、ともすれば『道草』の世界をいささか感傷的に見せるおそれがあるかもしれない。しかし、『道草』をはるかな高みから統御された世界と見ることをやめることによって、そこにあらためて、切実さと同時に滑稽さを、暗さとともに明るさを、さらには熱気と静けさとの交錯を読みとることができるのではないか、と考えるのである。それは他でもない、こうした〈語り手〉と作中人物各々との間の接近や懸隔の感触から来ているのだ。
 そしてむろん、ここで考えてみたいのは、このような〈語り手〉によって描かれた健三のすがたなのである。

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