hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

あの町と、あの時

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    二十年前の九月、上海の小さなホテルに逗留していた。宵になってドアがノックされ、開けてみると、ホテルの主人が笑顔で立っていた。重ねた掌の上には月餅が一つ。礼を言って受取り、東の窓に寄って月を見た。中秋だったのか、と。
    仕事を持ち込み、一室にこもっていた日本人を、人の良さそうな主人はどう見ていたのか。小商人の店の並んだ裏町の空に浮かんだ月は、貧相な窓の男をどう見たのか。当てどもなく歩き、知り合った中国人青年は、疲れた日本人中年に何を見たのか。
    しきりに問いかけ、しばらく黙り、話し始めて、また黙り、具体をこえた理解を求めては、また黙る。
    そんな交わりをしていたのかもしれない、あの町と、あの時。
    二度と行かれぬだろう国を思う今宵、青いかさにつつまれた名古屋の月を見ながら。