hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

【にくまれ口 逆立ちグルメ】

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学生食堂にはA定、B定とあり、つねにB定(食)と決めていた。時に廉価設定ゆえのレバかつとなり、つゆ知らずにかぶりついたとたんに滲み出る不味さ、落胆は忘れられない。が、これぞ修行、と飲み込んだものである。
食い物によって左右などされまいぞ、との気持ちだったのだ。うまいもの食いたさに節を折るなど真っ平ごめん、と力んでいたのである。
爾来半世紀、美味は美味として認めはするが、それがどうした、との力みは消えぬ。TVにネットに溢れるジョーホーに抗して、一錠で済むミールを求めることしきり。一錠で終わるライフも又。
米国で生活し、味気なさに驚き、かつ喜んだのはコーヒーである。日本の“アメリカン”などよりもっと薄い、まるで出がらしの麦茶。ガススタンドなどには、無料で置いてあったものだ。
散々手をかけ、豆の美味をむりやり絞り出し、全てを我が口中に、などと欲望漲る日本流“珈琲”が苦手なのである。しかも香りが死んでいる店が殆ど。エスプレッソなどもってのほか。何やらの器と苦さを、金を払ってまで褒めるは愚の骨頂と。
香り高き“薄いコーヒー”をこそ、と思えど中々。米国の通常のコーヒーは無論香気などどこへやら、なれどいかにも飲みやすく、胃にもやさしい。マスターの蘊蓄も、世界各地の豆のひけらかしも無し。気楽そのもの。
今の日本で……と思えば、そう、Macの120円コーヒーの気安さがあり。そも、美味たる必要もなく、ポリフェノール云々すら無用。ただの麦茶の心やすさ。怪しげな肉団子パンは食わねど。
なるだけ人間の悪知恵でリョーリと称する死体処理などせぬ素味素食をこそ、と思うが、それもまた、裏返しの粗食追求のこだわりとなって卑しい。
なにを食った、かにを食った、などおくびにも出さず、雨ニモマケズ、美味ニモマケズ、飯半合と味噌と少しの野菜で……と思えど嗚呼、日暮れて生細し、なのである。 妄言多謝