hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

三島由紀夫VS東大全共闘 ーー目の中に不安の色を

三島由紀夫は全共闘の学生を前に『テレーズ・デスケイルゥ』を引き合いに出して「諸君も体制の目の中に不安を見たいに違いない」と言ったが、今回『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』で三島の発言場面を見ることができた。 モーリアック『テレーズ・デ…

『豊饒の海』における老い

三島由紀夫『豊饒の海』には、夭折とともに老いがにじんでいる。老いは、あたかも夭折者に添えられた刺身のつまのように、わずらわしく箸にからまり続けるが、やがて読者はそれこそが滋養に富んだ、読み応えある小説のたまものでもあることに気づかされるだ…

三島由紀夫の予言の毒

三島由紀夫の「無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が」残るとの予言が、むしろ楽観的だったと気付くほどの事態が―「日本」がなくなるか否かの心配など悠長と思えるほどの未来が―来ることなかれ、と祈る。…

痛恨也。

『自転車泥棒』Ladri di Biciclette 1948 で、捕まった父を目にした少年の"形相"と、放免された父を気遣い見上げた眼差しが忘れられない。 デ・シーカが街で見つけたという子役とチコニーニの曲が胸に迫る。どこで観たのか。昔の映画館の暗闇の中である。 同…

ハムレット・オン・ザ・ストリート

「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」は、1000年以上前に投稿されたtwitterである。 誰にも理解されぬだろうとの思い自体を書き記し、何者かへと向けて発信することのむずがゆいような自覚と、それが密やかな共感を広げていく動き…

「バイヤー、バイヤー」

不自然な笑顔、ひきつったような無理な笑いなどと言うが、その張りつめた和やかさ、反射神経によるかと思わせるほどの素早い反応に、私の心ははっと動かされる。たとえそれが店員であろうと、同僚であろうと、あるいはまた家族の誰かのジェスチャーであろう…

君の名は

現実は目の前にある、という感覚が我々を支えているが、目の前にある現実は全てではない、という意識が、我々を常に不在へと動かし続けている。 私が時に風車へと向かうのは、風車が私にとって意味を持つからというよりも、風車にとって私が何物かでありたい…

バケツ一杯の水

早稲田の入学式で村上春樹が話した内容を見て、ああ又かと少々がっかりしました。村上は、人間の意識は心という池からくみ上げられた一杯の水に過ぎず、残りは手つかずで未知の領域と言いますが、本当でしょうか。「バケツ一杯の水」の方が実ははるかに難物…