hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(29)──午後六時から土曜日、〈抜け殻〉となった男女

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 結局のところ、人を動かすのは感情なのだ──あらためてそう思わせられるのである。
 ロカンタンは冷静に自他を認知し、識別し、了解しようとするが、われわれは、その認識過程がしばしば好悪の感情によって色づけられ、また、ふいに生じた情動によって大きく揺らぐのを見せられてきたのだ。
 この若者は、世界が〈存在〉によって埋まっている、または、あらゆる物象が否応なく〈存在〉を抱え込んでいるということに気づき、〈吐き気〉を感じてたじろいだという。その直感による世界発見──本源的な認知は、一篇の小説の、言葉の豊饒と論理の勢いとによって読み手に迫ってくるのである。むろん、感情をともなって。それは、喜怒哀楽こそが小説の味付けとして不可欠であり、われわれの生活においてもまた同様だから、というべきか。

《この途方もなく巨大な現存するもの、それは夢だったのであろうか? それはそこにあった、公園にいすわり、木々のあいだに転落し、まったくぶよぶよで、すべてをべとつかせ、ぼってりと厚く、ジャムのようだった。そしてこの私も公園全体とともに、そのなかにいたのだろうか? 私は怖かった、だがとりわけ腹が立った。それは実に馬鹿げた、場違いのものに思われた。私はこの汚らしいマーマレードが憎かった。》(午後六時)

 認知は感情によって覆われ、受けとめられ、納得されていくのだ。ロカンタンは、〈存在〉という「汚らしいマーマレード」が、「至るところに散って行き、すべてをそのぐったりしたゼラチン状のもので満たしていた。おまけにそれはどこまでも深く、深く、公園の境界や、家々や、ブーヴィルよりもはるかに遠くまで広がっていた」と、感じるのである。そして、それは読み手を引き付け、その理解を補強するものとさえなるのだ。

《私はもうブーヴィルにはおらず、どこにもおらずに、ふわふわと漂っていた。不意を衝かれて驚いたのではない。これが〈世界〉だということは、よく承知していた。むき出しの〈世界〉が一挙にあらわれ、私はこの不条理な大きな存在への怒りで息が詰まるほどだった。》(同上)

 不条理な世界に対する激しい「怒り」とともに公園を後にした夜、「決心はついた。もう本を書かないのだから、ブーヴィルにいる理由もない」と記したロカンタンは、ブーヴィルを引き払う前に、金曜日の汽車でパリに行き、土曜日にアニーと会う。
 こうして作中に再び現れるアニーとの再会場面は、またしても私の感情を逆なでするだろう。私には、なぜロカンタンはこんな女に執着するのかと思わせるほど、アニーのイメージが、冷たくぱさぱさに乾いたものとうつっているのだ。しかも何と、一方のロカンタンはここで、これまでアシル氏や独学者に対してそうであったような冷徹さを捨て去り、まるで優男に一変したかのように、女の機嫌をとろうとしておろおろするのである。
 しかし、同時にまた、私の感情は、ここまで読み込んできた小説のなりゆきを、とうていラブ・シーンとは呼べない殺伐としたこの再会と別れの一場に、やすやすとあずけてしまうことを口惜しくも思うのである。以下は、そんな私の、この若い男女了解のための試みである。
 などといささか感情的になり、身構えてしまったが、何のことはない、手っ取り早く言ってしまえば、それは、ここでアニーとロカンタンが重なってくる、という読み取りなのだ。

《アニーは黒のロングドレスをまとって、私のためにドアを開けに来た。もちろん手は差し出さないし、こんにちはとも言わない。私は右手をコートのポケットに入れたままだった。彼女は形式的なことを片づけるために、ふてくされた口調で、ひどく早口に言う。
 「さあどうぞ。どこでも好きなところに掛けて。でも窓のそばの肘掛け椅子だけはだめよ」
 これが彼女だ。まさしく彼女だ。両手をぶらんと垂らして、気むずかしい顔をしているが、その顔つきはかつて彼女に思春期の少女のような雰囲気を与えていたものだ。しかし今の彼女はもう少女に似ていない。肥って、大きな胸をしている。》(土曜日)

 パリのホテルの一室である。読み手を籠絡するような容貌の描写もなく、かつての恋人アニーの個性は、ただなげやりな冷ややかさとして感じるしかない。だが、そんな読み手の不満は、ロカンタン自身の不充足な思いをより身近に引き寄せるだろう。男は何度も「それはまさに彼女だ、アニーである」とやにさがるのだが、女はあいかわらず不愛想なままだ。だが、それだけだろうか。
 いやいや、よく見れば彼女はすでに変わっているのだ。そして、男もそれに気づき、あらためてまじまじと女を見るのである。
 アニーは、「ほんとに、あなたって変わらないわね」と繰り返し、それに反して自分は変わってしまったのだと述べる。

《だしぬけにアニーが、抑揚のない声で言う。/「ほら、あたし肥ったでしょ。歳をとったわ。からだに気をつける必要があるの」/そうだ。おまけに、なんと疲れているように見えることか!》(同上、以下同じ)

 これもたしかに重要な女の変化だろう。そこに男は「疲れ」を見出す。だが、それだけではない。さらに唐突に、アニーは肩をすくめて語り始めるのだ。

《「いいえ、あたしは変わったの」と彼女は冷ややかに言う、「何から何まで変わったのよ。あたしはもう、同じ人間ではないの。あなたならひと目で気づくだろうと思っていたわ。……当ててごらんなさい。あたしの何が変わったか?」
 私は躊躇する。彼女は足で床を蹴っている。相変わらず薄笑いを浮かべながらも、本気で苛立っているのだ。
 「昔あなたをひどく苦しめたものがあったわね。少なくとも、あなたはそう言ってたわ。でも今はそれが終わった。消えてしまった。そのことに気づいてもいいはずよ。前より居心地がよくなったとは感じない?」
 違うと答える勇気はない。私は以前とまったく同じに、椅子に浅く掛けて、落とし穴を避けよう、説明のつかない怒りを回避しようと、気を使っているのだ。
 彼女はふたたび腰を下ろした。
 「なるほどね」と彼女は、自信ありげに頭を振りながら言う、「分からないとしたら、それはあなたがいろんなことをみんな忘れてしまったからだわ。〔後略〕」》

 女は自分は「何から何まで」変わり、つねづね求め続けてきた「完璧な瞬間」への希求さえも失ってしまった、と言うのである。

《「だとすると、つまりもうなくなった……」
 「はっ! はっ!」と彼女は芝居じみた声で叫ぶ、「なかなか信じられないのね!」
 そして穏やかな声で続ける。
 「それじゃ言うけど、本当なのよ。もうあれはなくなったの」
 「もう完璧な瞬間はないんだって?」
 「そうよ、もうないの」
 私は呆然として、なおも食い下がる。〔中略〕
 「そりゃあ、驚いたよ! あれはきみ自身の一部だと思っていたし、あれを取ってしまったら、まるできみが心臓を抜かれたようになると思っていたよ」
 「あたしもそう思っていたわ」と彼女は、何の未練もないような顔で言う。
 そして、私にはひどく不愉快な印象を与える一種の皮肉をこめて、こうつけ加える。
 「でもご覧のように、あれがなくても、あたしは生きられるのよ」》

 そして女は、芝居も見限り、「何もかも投げ出し」、世話をしてくれる男とイギリスに旅立つところだ、と告げるのだ。

《「そうよ、あたし、あなたが変わらなかったので嬉しいわ。もしも誰かがあなたのことを移動させたり、塗り替えたり、別な道路の脇に立てたりしたら、あたしは自分の方向を決めるのに、もう何も固定したものがなくなってしまう。あなたはあたしにとって、なくてはならないの。あたしは変わる。あなたは決して変わらないことになっているの。あたしは自分がどれだけ変わったかを、あなたとの関係で測定するのよ」
 私はやはり、いくぶん気を悪くする。
 「それはまるで見当違いだな」と私ははっきり断言する、「ぼくは逆にこのところ、すっかり以前と違ったんだ。結局、ぼくは……」
 「おやおや!」と彼女は心から軽蔑しきったような態度で言う、「どうせ知的変化でしょ! あたしの方はね、身体の隅々まで変わったのよ」
 身体の隅々まで……。いったい彼女の声のなかで、何が私を動揺させたのか? いずれにしても、このとき私ははっとして、不意に決断した! 消えた失せたアニーを探すのはもうやめだ。目の前のこの娘、肥ってうらぶれた様子のこの娘、これこそ私の胸を打ち、私が愛している女なのだ。》

 身勝手な女は、自分が若さも、芝居も、「完璧な瞬間」も、何もかも手放したと訴えるのに夢中で、男をまるで「メートル原器」のように変わらぬものと見立てようとするが、これまでわれわれが見てきたように、一方の男も、大切なものを失くし、やっかいな感情にとらわれ、いまやすっかり変わってしまったのだ。いわば、二人とも抜け殻となった(と自分で思っている)状態なのである。
 女が追い求めてきた「完璧な瞬間」とは、男にとっては「冒険」であった。かつて世界を旅し、冒険を繰り返してきた男には、いまや街中で密かに心を満たす小冒険しか残っていない。そこでかろうじて他者を生きるために持続してきたはずの伝記執筆も放棄してしまったのである。まさに、二人は似た者同士でもあるはずなのだが、女はそれを見ようともせず、これからは他の男と「余生」を送るのだと言う。
 それでも「あたしは生きられる」と言うマリーに対して、ロカンタンはどうか。彼ははたして「生きられる」のか。その問いが、読み手を『嘔吐』の最終部分へと向かわせるのだ。
 これは、一見、女の無理解、女が男を捨てる場面と見えるだろう。しかしながら、老生から見ると、この女の開き直りは焦りからくるものであり、その奥には、男に対する未練を拒もうとする姿勢──感情も感じられるのである。女は男の絶望を見ないのではなく、それを知ったからこそ見ないでおこうとしているのだ、とさえ。その意味では、これはやはり、ある恋愛小説といえるかもしれないのだ。
 別れは無残にも、苦悩の顔となってあらわれる。

《「それじゃぼくは、きみと再会したのに、別れなければならないんだね」
 今は彼女の顔がはっきり見える。とつぜんそれが蒼白になり、やつれた顔になる。まったくぞっとするような老婆の顔だ。この顔は確実に、彼女が自分で呼び寄せたものではない。彼女の知らないうちに、ひょっとすると彼女の意に反して、そこにあらわれたのだ。
 「いいえ、違うわ」と彼女はゆっくりと言う、「あなたはあたしに再会しなかったのよ」
 彼女は腕をほどく。ドアを開ける。廊下には煌々と明かりが点いている。
 アニーは笑い始める。
 「可哀相な人! 運がないのね。初めてうまく自分の役を演じたというのに、ひとつも感謝されないなんて。さあ、帰って」私はドアが背後で閉まる音を耳にする。》

 然り。苦悩、幸福、喜怒哀楽──それらもろもろもやはり〈存在〉ではなく、なおかつ、われわれの〈生〉を日々動かし続けていくものなのである。

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