hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

軽い身体

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私はそれを「軽い身体」と呼んできた。
それとは何かーー〈声〉である。
厳密には、音という物理的現象はあるが、目には見えないという意味で「形がない」のだ。
軽々と放たれ、生身の身体であるかのような生理や感情をおびて迫り来る、あるいはよそよそしく流れ行くもの。
感知できる形態も重さも持たず、しかもなお、生きていることをなまなましくあらわすもの。囁き、猫撫で声から、恫喝や叫びまで、自在に変幻し、また途絶えることで、喧騒ならぬ沈黙をも感受させる立役者ーーそれが声なのである。
とすれば如何。
形あり重さあり、温度さえおびた身体とはまったく異なる、しかもなお、身体の形状や機能に左右もされる私の一部。
さらには、形も質量もない、把握し難い精神ともまた別物であり、しかもなお、その直接のあらわれとも聞き取られるもの。
そんな声の、特殊な、かつまたごく日常的なあり方を、私は「軽い身体」と呼びたいのだ。
そして、上述のごとく、そこには「身体」だけでなく「精神」もあらわれている、と我々は思い続けてきたのである。すなわち、「声」こそその人の「心」なのだと。
私は、それを我々の〈心身接合〉の何かとして聞き取りたいのである。
文字もまた、それを模したものとすれば、記された声、新たな形を付与された〈心身接合〉の試みと言えるだろう。
などと書いているこの文章も、そんな「軽い身体」を思わせるような、ハズミやリズムを擬しているのであるが、如何。
使い古した身体からも、休むに似たりの精神からも、もはや解き放たれることを切に希い、なおかついましばし、此岸にとどまらざるを得ぬらしき私は、千の風ならぬ、千の声となってネット空間とやらを、かく吹き渡ろうとしているのである。

      おうい雲よ いういうと
      馬鹿にのんきさうぢやないか
      どこまでゆくんだ                    #山村暮鳥

もう一つの美術館

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    池袋の一つ先、椎名町で人と会う。
    小さな改札口を出ると、往年の漫画の主人公たちが目に飛び込んでくる。漫画ファンの“聖地”トキワ荘があるのだ。今は跡地近くに再建されミュージアムになっているという。友人の説明を聞き、反対側の北口へ。目の前には、由緒ある長崎神社。この先には、帝銀事件の舞台となった帝国銀行椎名町支店があったという。
    駅前のロッテリアの2階は広く落ち着いていた。ニ十年振りの再会で、つもる話のあれこれ。苦労人の友人はあくまで腰低く、当方の駄弁を聴き、的確に応答。書くものと同様、鋭い理解とコメントが返ってくる。まさに畏友である。
    ひと通り、記憶のつき合わせ、在庫整理も済み、 いつかまた、ということで外へ。
    そう、もう一つのミュージアム熊谷守一美術館もこの辺にて、案内してもらう。
    これも旧宅の跡地で、コンクリート造り3階建て。他の客なく、気兼ねなく目を向ける。圧迫感のない色とかたち。この地の庭でうずくまり、伸び上がり、記されたとおぼしき〈いまここ〉のすがた。融通無碍のモリカズ様式。
    「人生幻花ニ似タリ」とした書があった。梅崎春生の「幻化」が浮かぶ。まるで似て非なる世界が、ともに幻中に浮遊する感覚として、いまここに。

#椎名町 #熊谷守一 #梅崎春生 #幻化

星になった兄さん

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    何度目のゴッホ展だろうか。
    名古屋の県美は混雑緩和に案内人が並び、誘導と監視に余念がなかったが、平日午後の大文化センターは閑散とし、巨大な空間が寒々と広がっていた。
    それでも、場内では多くの人が、巧みなディスプレーによって示された「家族がつないだ画家の夢」と題した解説を眺め、奥へと奥へと動いていく。自画像をはじめよく知られた数点、さらに、これもまた、などという数々の絵の前を、黙々と並んで。
    弟テオの支援とその妻ヨーの努力に光を当てた、キュレーターによって仕上げられた「兄さん」の物語が、あたかも、はるばる招かれた定評ある一座の興行のように、工夫された種々の映像を伴って人々を導き、楽しませていた。
    そこには、かつてのそっけない解説文と絵が並べられただけの展示場を、より効果的な空間としようとする現代的な演出があり、多くの観客を引きつけようとするひたすらに対他的な姿勢があった。それらが周到に、我々に心地よい芸術鑑賞を用意し、誘導し、保障しているのだ。
    順路どおり、じっと動かぬタブローのひとつひとつをたどり、めまぐるしく変幻するディスプレーの前を過ぎた後で、たった一枚しか売れなかった男が、ただポツンと立っているのが見えてきた。ぞっとするような孤立が目の奥に焼き付けられた痛切な観覧だった。
    外に出て暮れかけた冬空に見えた気がしたのは星ではなく、ビル群の中を不気味に飛び交うカラスの黒い影だったか。道は先で折れ、その向こうは見えないままで。

#ゴッホ

お仕着せ

f:id:hosoyaalonso:20251201094726j:image無趣味の伸二郎は、退職後に警備員のアルバイトを始めた。自社株保有の配当と早期退職の割増分で老後の心配はない、小遣いかせぎと体調維持のためだ、と妻には言った。
始めてみると結構きつかった。出入口の立哨業務、館内の巡回、入退館管理、防災センターでの監視等、マニュアルを読まされ、うるさく指導もされた。
ひと月後には慣れてきたが、人手不足で担当部署の変更が多く落ち着かなった。寒風の中の立哨はこたえた。そのつどチームを組む相手とのギクシャクもあった。若造のチーフからどやされると腹が立った。
意外だったのは、お仕着せの心地よさだった。高校以来の制服を着て、見てくれなど気にせず、却って自由になった気がしたのだ。大きなマスクで喜怒を隠すようなつもりで耐えることもできた。
「背筋が伸びたわね」と妻に言われて、係長止まりだった自分を見たような気がした。「お父さん、まるで戦さにでも行くみたい」と帰省した娘にからかわれて、父の姿が浮かんだ。予備役召集で戦地へ行った軍服姿の父の写真が、今の自分に重なるように見えてきたのだ。
「勤勉だけがとりえなのよ」と言って妻が笑った。

『オッペンハイマー』── 映画は暴力である

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    映画は暴力的な装置となりうるメディアである。
 暗闇の中で強烈な光を放つ映像と増幅された音響、大スクリーンに拡がるイメージと心を揺さぶる楽曲、それらが有無を言わせぬ持続として観客の耳目になだれ込むのである。そこで人々は自ら囚われの身となり、何者かの出現を冀う者へと変ずるのだ。
 もちろんそれは芝居小屋や劇場でも生じることであり、隙間風吹き込むアングラ芝居も、押し込まれて施錠されるワーグナーの祝祭劇場も、さらには大音量を響かせる野外コンサートまでもが有する魔力に通じるのである。
 しかし、中でも映画は大衆の支持と巨額の資金を得て、巧妙に仕掛けられた音響と驚くべき映像の開発によって、格段の〝効果〟を発揮しうるものとなりおおせたのだ。
 『オッペンハイマー』はその先端を行くものであり、その〝効果〟はさらなる増長を危惧させるものだった。それはまさに暴力的な映画というべきだろう。
 巻頭まもなく唐突に、ドルビーシステムで床までが震える爆音とともに、核分裂核融合の凄まじさを想わせる画像の挿入が始まり、それが後々まで何度も繰り返されるのである。観客は、若きユダヤ系米人学徒が米英独の学者らとの交わりの中で量子力学に没頭し、第二次大戦下には原爆製造に関わってマンハッタン計画の責任者となり、実験を成功させて二発の原爆を軍に提供するが、良心の呵責に苛まれ、後になって赤狩りの標的とされる、という時の人オッペンハイマーの半生をたどろうとするのだが、そのつど強烈な映像と音響が挿入され、さらに赤狩りの査問委員会の様や、あるいは敵対するストローズが後になって糾弾される場のモノクロ画面までもが目まぐるしく交錯するのである。
 そのあわただしい動きは、観客を落ち着かぬ宙吊り──サスペンスのままにして引きずっていき、主人公の苦難や動揺、戦時下の緊張や謀略、人間同士の対立や挑戦へと向わせ続けようとするのだ。『ダークナイト』等でも見られた、クリストファー・ノーランの強引な緊迫感の押しつけが、おぞましいほどに図られているのである。
 近年の暴力的な秀作映画といえば、何よりトッド・フィリップスの『ジョーカー』があったが、『オッペンハイマー』の大音響の暴力と比べれば、前者が穏やかにさえ感じられるのである。しかも、『ジョーカー』の心底を揺るがせる訴えは、粗野な物理的強烈さを持った『オッペンハイマー』に比べてはるかに着実で根源的なものであった。
 両作とも、いわば社会派的エンターテインメントの問題作といえるだろうが、漫画を原作とした『ジョーカー』がエンターテインメントを旨としながら痛切な社会性を打ち出していたのに対して、『オッペンハイマー』は社会派を旨とするかと見せて、なお鬼面人を威す娯楽作品に過ぎないものと私には見えたのだ。さらに、暴力を現したキューブリックの『機械じかけのオレンジ』との比較も有効だろう。

  『オッペンハイマー』における強烈な音響と映像の唐突な挿入の繰り返しは、原爆の恐るべき力を訴えるものであると同時に、なお、物語の動きの中では至極当然ながらサスペンスを高め、マンハッタン計画の成功への期待へと観客の関心を向けるのである。
 一方で、オッペンハイマー役のキリアン・マーフィーの頑ななほど思い入れ過剰な演技はすぐれたものであり、当時の科学者らの様子もそれなりにリアリティを感じさせるものだった。また、原爆投下後に喝采を受けたオッペンハイマーが、幻視した黒焦げの被爆死体に足を取られるなどすぐれた場面もあったのだが、結局はオッペンハイマー事件は、原子力委員会委員長だったストローズの私怨によるものだったという、悪人ありき、勧善懲悪の分かりやすい話に終わり、二度の原爆投下は大戦終結の必要悪だったとする米国の通念に沿った仕立ても、暴力的なまでの“鳴り物入り”の視聴覚作品にしては、なお従来の娯楽映画の域にとどまるものと見えたのである。
 それに対して華々しくアカデミー作品賞を与える今日のアメリカにも私はいささか危惧をいだいたのだ。映画の暴力とはより抑制的かつ根源的な力として我々を貫き得るものだったのではないか、と思いつつ。
 オッペンハイマーアインシュタインに、”I believe we did it. “(我々はそれ〔世界の破壊〕をやってしまったと思う)と答える巻末は秀逸だったが、それはまた私には、のりを越えてしまったこの一篇を言うかとさえ思えたのである。

 

#オッペンハイマー #ジョーカー

【にくまれ口 逆立ちグルメ】

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学生食堂にはA定、B定とあり、つねにB定(食)と決めていた。時に廉価設定ゆえのレバかつとなり、つゆ知らずにかぶりついたとたんに滲み出る不味さ、落胆は忘れられない。が、これぞ修行、と飲み込んだものである。
食い物によって左右などされまいぞ、との気持ちだったのだ。うまいもの食いたさに節を折るなど真っ平ごめん、と力んでいたのである。
爾来半世紀、美味は美味として認めはするが、それがどうした、との力みは消えぬ。TVにネットに溢れるジョーホーに抗して、一錠で済むミールを求めることしきり。一錠で終わるライフも又。
米国で生活し、味気なさに驚き、かつ喜んだのはコーヒーである。日本の“アメリカン”などよりもっと薄い、まるで出がらしの麦茶。ガススタンドなどには、無料で置いてあったものだ。
散々手をかけ、豆の美味をむりやり絞り出し、全てを我が口中に、などと欲望漲る日本流“珈琲”が苦手なのである。しかも香りが死んでいる店が殆ど。エスプレッソなどもってのほか。何やらの器と苦さを、金を払ってまで褒めるは愚の骨頂と。
香り高き“薄いコーヒー”をこそ、と思えど中々。米国の通常のコーヒーは無論香気などどこへやら、なれどいかにも飲みやすく、胃にもやさしい。マスターの蘊蓄も、世界各地の豆のひけらかしも無し。気楽そのもの。
今の日本で……と思えば、そう、Macの120円コーヒーの気安さがあり。そも、美味たる必要もなく、ポリフェノール云々すら無用。ただの麦茶の心やすさ。怪しげな肉団子パンは食わねど。
なるだけ人間の悪知恵でリョーリと称する死体処理などせぬ素味素食をこそ、と思うが、それもまた、裏返しの粗食追求のこだわりとなって卑しい。
なにを食った、かにを食った、などおくびにも出さず、雨ニモマケズ、美味ニモマケズ、飯半合と味噌と少しの野菜で……と思えど嗚呼、日暮れて生細し、なのである。 妄言多謝

【『細雪』を読む(2) ── 日常の感触】

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 正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱出する様などが如実に描かれているのだ。戦争や災害以外にも、病気や流産があり、若者の悶死まで出てくる。
 『細雪』は、病気で始まり病気で終わる、と言われる。それは冒頭の幸子の「B足らん」(脚気)と、末尾の雪子の下痢を指しているのだが、その間にも様々な身体の不調が起こるのである。ただし、それらは我々にも十分ありうるトラブルと見え、なお日常の持続は保たれていくと感じられるのだ。
 上巻は雪子の縁談が主筋で「雪子の巻」、中巻は妙子の恋愛事件が起こって「妙子の巻」、下巻は「雪子・妙子の巻」で両者の出来事が相次ぐという、分かりやすい構成である。作中時間は、1936昭和11年11月から1941昭和16年4月で、作者自身が「日支事変の起る前年、即ち昭和十一年の秋に始まり、大東亜戦争勃発の年、即ち昭和十六年の春、雪子の結婚を以て終る。」と述べている(「上巻原稿第十九章後書」)。

 上巻では、雪子が二度見合いをする。一度目の相手は、四十一歳の瀬越である。サラリーマンで初婚、大阪外語の仏語科卒という。冒頭は、三女雪子の見合いを前に、次女の幸子と四女の妙子が相談する場面である。

《「こいさん、頼むわ。―――」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方(そちら)は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」》(上巻、一)

 大阪弁の声に続いて、視線、動作、位置関係、身体等の細部が次々にあらわれ、それらの主体が幸子なのだと最後に明かされる一文となる。読み手の耳目を順を追って引く巧みな書き出しといえるだろう。
 雪子は目下悦子(幸子の娘)の相手で当分二階に来ないと知った幸子は、下の妹・妙子に語りかけるのだ。

《「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
「そう、―――」
姉の襟頸から両肩へかけて、妙子は鮮やかな刷毛目をつけてお白粉を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆(うずたか)く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。
「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、―――」
「そう、―――」
「サラリーマンやねん、MB化学工業会社の社員やて。―――」
「なんぼぐらいもろてるのん」
「月給が百七八十円、ボーナス入れて二百五十円ぐらいになるねん」
「MB化学工業云うたら、仏蘭西(フランス)系の会社やねんなあ」
「そうやわ。―――よう知ってるなあ、こいさん
「知ってるわ、そんなこと」》

 十分に練られていながら自然と思わせる会話の流れの中で、幸子の(話題の中心である雪子のではない)「肉づき」や「濡れた肌の表面」の描写がこれ見よがしに挿入される。女の肉体美と計算高さとが、いやでも目に飛び込んでくるのだ。
 「サラリーマンやねん」のひとことに、この姉妹の上層意識があらわれているとも見える。大阪弁の「なんぼぐらいもろてるのん」が若い私をウンザリさせたのが懐かしい。大阪人の押しの強さにはかなわない、たしかに言われるとおり『会社四季報』でも見るように見合い相手は探すべきなのだろう、などと思ったものだ。
 テクスト自体がフォローしている。

《一番年下の妙子は、二人の姉のどちらよりもそう云うことには明るかった。そして案外世間を知らない姉達を、そう云う点ではいくらか甘く見てもいて、まるで自分が年嵩(としかさ)のような口のきき方をするのである。》

 こんな解説が今後も、人称を持たぬ〈語り手〉によって挟まれて行く書き方なのである。

《「そんな会社の名、私(あたし)は聞いたことあれへなんだ。―――本店は巴里(パリ)にあって、大資本の会社やねんてなあ」
「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」
「そうやて。そこに勤めてはるねんて」
「その人、仏蘭西語出来はるのん」
「ふん、大阪外語の仏語科出て、巴里にもちょっとぐらい行(い)てはったことあるねん。会社の外に夜学校の仏蘭西語の教師してはって、その月給が百円ぐらいあって、両方で三百五十円はあるのやて」
「財産は」
「財産云うては別にないねん。田舎に母親が一人あって、その人が住んではる昔の家屋敷と、自分が住んではる六甲の家と土地とがあるだけ。―――六甲のんは年賦で買うた小さな文化住宅やそうな。まあ知れたもんやわ」
「そんでも家賃助かるよってに、四百円以上の暮し出来るわな」
「どうやろか、雪子ちゃんに。係累はお母さん一人だけ。それかて田舎に住んではって、神戸へは出て来やはれへんねん。当人は四十一歳で初婚や云やはるし、―――」
「何で四十一まで結婚しやはれへなんだやろ」
「器量好みでおくれた、云うてはるねん」
「それ、あやしいなあ、よう調べてみんことには」
「先方はえらい乗り気やねん」》

 縁談が自力のマッチングアプリにまで極まった今日、「見合い」は体裁よく飾られた中で、互いに考量のうえ選択が可能な、定めし実利と礼にかなった制度だったのだろう。以前の米人留学生たちは、「日本には見合いがあって羨ましい」と言っていた。当時はホテルのロビーや高級喫茶店(長時間いても追い出されない店)で、見合いの待ち合わせらしき一団をしばしば目にしたものである。
 そう、留学生といえば、先回の続きがあった。
 かつて中西部の大学で、女学生が「It's boring.(退屈です)」と言ったので、私は「それは良かった。君はこの小説を通して日常の感触を十分に味わったのだろう」などと返したのだが、他日、別の学生はこう言ったのだ。「私はハワイ生まれの日系三世です。お祖母ちゃんが関西出身なので、『細雪』を読んでいるとまるでお祖母ちゃんの話を聞いているような気がして、引き込まれます」。
 なるほど、人それぞれだな、と、実は前者同様日常に退屈していた私は思ったものだ。それから早三十五年、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、米同時多発テロ東日本大震災等々の災厄を経て「令和6年能登半島地震」に直面した今、日常の持続をこそ、と思うのである。

#谷崎潤一郎 #細雪 #見合い #日常