hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

温顔の下に

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    三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ」という。名言である。だが──

 もう若くはない身で、なお心ばかりが若いということは、本人にとっては悲劇であるが、アロンソ・キハーノの愚行のごとく、見る者にとっては喜劇である。かつ、それをみずから悲劇でもあり、また喜劇でもあると痛感し得ること、即ち、老年の矜持であり、燃えつきぬ火、でもあるのだ。

 三島はさらに、「人生は、成熟ないし発展ということが何ら約束されていないところに恐ろしさがある。我々は、いかに教養を積み知識を積んでも、それによって人生に安定や安心が得られるとは限らない」と断じている。然り──

 老年とは、成熟や発展といった言葉とは無関係な場へと広がる、弛緩であり、切迫である。その上で、ましてや、安定、安心など当然と思えるわけもない、と体験的に知り得ること、それこそが老者の覚醒であり、安心立命の終りなのだ。そして──

    それはまた、ときに密やかな、スリルに満ちた喜びともなって、我々を揺さぶるのだ。

──好々爺の温顔をたたえた我らを。

 早世者三島よ。

 

                                                         ムンク