hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(6)──「彼ら」の中の日曜日、そして海

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 『嘔吐』の日曜日は、『異邦人』の日曜日とは異なっている。
 『異邦人』のそれは、〈勤め人の日曜日〉として印象深く読み手に迫って来る。そこには、どこにも出かけず、ベランダの椅子に跨って、ただぼんやりと通りを眺め続ける「私」=ムルソーがいる。対するに『嘔吐』の「私」=ロカンタンは、日曜日に町を歩き回り、認識し、理解しようとするのだ。かなりの分量で書き込まれてはいるが、なかなか全体がつかみにくく、際立つ部分とは見えないともいえるのである。
 50年前の私は、小説としては『異邦人』を好み、『嘔吐』はその思索を追うべく、目をすべらせていたのだ。しかし今は、『嘔吐』の本文をゆっくりたどっていくと、表現の濃淡や強弱、「私」の心の揺れ動きが伝わってくるようで、ひとつの小説世界としての印象が立ち上がってくる。
 『異邦人』は傑作である。しかし、われわれはムルソーに寄り添いつづけることは困難である。ムルソーは、マリイが留置所で面会するように、わずかの言葉から、その声や顔を確かめるしかない相手なのだ。そして、それもまもなく断ち切られるのである。一方、インテリの小市民たるロカンタンは、みずから解釈する言葉を記す者であり、その思索は憂鬱ではあるが、より歩度を合わせやすいものと思えるのだ。
 一方は理由なき殺人者であり、他方は悩める研究者であれば当然か。いやしかし、双方ともある期間の述懐のかたちで、眼前の世界と自己とに対峙した若者の言葉として、あらわされたものなのだ。そして、どちらもかつて世界に鋭く強い印象を与えたことも、またたしかなのである。一方に寄り添って読み直すことが、他方をもさらに理解させることに通じるのではないか。
 そしてさらに、今の私は、〈不条理〉も〈吐き気〉も、誰でもが持ちうるこの世の感受のあり方として、受け止め直してみたいと思っているのだ。両者共まだ横目でにらみつつ、通り過ぎて来たわけだが、老いた私は、休みやすみ、再び彼らについて行ってみようとしているのである。

《今朝、私は今日が日曜日なのを忘れていた。外出して、いつものように通りを歩いた。『ウジェニー・グランデ』を持って行った。それから、公園の鉄柵を開けようとしたときに、とつぜん何かが私に合図をしているような気がした。公園は人っ子一人おらず、むき出しだった。しかし……どう言ったらいいだろう? 普段と様子が違って、公園は私に微笑みかけていた。私はしばし鉄柵によりかかっていたが、それからだしぬけに、今日は日曜日だと悟った。》サルトル『嘔吐』「日曜日」鈴木道彦訳 以下同様

 そんなこともあるだろう。週日の出勤がない青年や老人の、気楽でタガの外れた日常感覚。ただし、ここヨーロッパでは、日曜日には公園から人影が消えるというのだ。

《目の前の木々や芝生の上には、軽い微笑みのようなものが浮かんでいた。とてもそれは描写できないが、せめて非常な早口でこんなふうに発音してみるべきだったろう、「ここは公園だ、冬、日曜日の朝だ」と。
 私は鉄柵から手を放した。市民たちの住む家々や街の方を振り返って、小声で言った、「日曜日だ」。
 日曜日だ。ドックの背後でも、海沿いでも、貨物駅の近くでも、町の周囲のどこへ行っても、倉庫は空っぽで、暗がりにおかれた機械はじっと動かない。すべての家では男どもが、窓のうしろで髭を剃っている。彼らは顔を仰向けて、ときには鏡を見たかと思うと、ときにはよい天気になるかどうかを確かめるために寒空に目を移す。売春宿は田舎者や兵士たちなど、真っ先にやって来る客たちのために店を開ける。教会では大蠟燭の光に照らされて、跪いた婦人たちの前で一人の男が葡萄酒を飲む。周辺地域では至るところで、どこまでも続く工場の壁と壁のあいだに、黒く長い人の列が歩き始めて、ゆっくりと町の中心へと進んでゆく。彼らを迎えるために、街々は暴動の起こる日のような外観を見せる。トゥールヌブリド街の商店を除いて、すべての店は鉄のシャッターを下ろしてしまう。やがて、ものも言わずに黒い隊列が、死んだ振りをしているこれらの通りに侵入してくるだろう。真っ先にやって来るのはトゥールヴィルの鉄道員たちと、サン=サンフォランの石鹸工場で働くその妻たちで、ついでジュクストブーヴィルの小市民たち、それからピノ製糸工場の労働者たち、そしてサン=マクサンス区域のすべての便利屋たちだろう。ティエラッシュの男たちは十一時の電車で最後にやって来るだろう。間もなく、軒並みに錠をかけた店と、閉ざされたドアのあいだに、日曜日の群衆が生まれるだろう。》

 いかにもヨーロッパの町の光景というべきか。ユダヤ教徒ほどではないにしろ、彼らは日曜日=安息日にこだわり、特別な場所へ行こうとするのである。
 ここには、階層化された社会秩序が人々の動きとなって形象化され、寒々とした、なおかつ、確実なイメージとなって捕捉されている。そこでは描かれたかたちとしての美さえ見出せるだろう。
 例外なく、すべて型どおり整えられたかのような街区のありさまが、この後もつづけて描写されていく。「私」の想像力によって色づけられ、押し出され、延々と並べられていくのだ。それは、まさに「私」自身の内部に貼りついた世界の表象と思わせるに十分である。

《どこかの時計が十時半を打つ。私は歩き出す。日曜日のこの時刻にはブーヴィルで、上質のスペクタクルを観ることができる。ただしあまり遅くなって、聖式ミサの終わったあとになってはいけない。
 狭いジョゼファン=スーラリ街は死んだようだ。この通りには地下倉の匂いが漂っている。しかしすべての日曜日と同様に、豪華な響きがこの道を満たしている。汐が満ちては引いていくような響きだ。私はプレジダン=シャマール街に曲がる。この通りの家は四階建てで、白い色の長いシャッターがついている。公証人たちの住むこの通りは、日曜日の膨れあがったざわめきによって、すっかり占められている。パッサージュ・ジレでは、騒音がいっそう大きくなる。聞き憶えのあるその音は、人びとのたてる騒音だ。それから不意に左手に、光と音の炸裂のようなものが発生する。いよいよ着いた。ここがトゥールヌブリド街だ。あとはただ自分の同類たちの列に加わればよい。こうして私は、立派な紳士たちがさかんに帽子の挨拶を交わすのを見ることになるだろう。》

 こんな調子で、具体的な名までつけられた街区の描写が次々にあらわれてくるのだ。いかにも歴史家らしく、ロカンタンは、ときに街や通りの変遷までも説き起こしつつ、周囲を語っていくのである。われわれもしばし日曜の散歩を楽しもうか。何とか居場所を見つけるために。
 ロカンタンは、階層の異なる人間たちが入り混じり、しかもそれぞれがおのれの階層を意識しつつ歩いて行く通りを過ぎ、食堂に入る。そして午後になり、また外に出るのだ。

《私は本を閉じる。散歩することにしよう。
 ブラッスリー・ヴェズリーズを出たときは、三時に近かった。私はけだるい全身に、午後を感じていた。私の午後ではない。彼らの午後、十万のブーヴィル市民がともに体験しようとしている午後だ。この同じ時刻に、彼らは長い時間をかけた日曜日の盛りだくさんの昼食をすませて、テーブルから立ち上がる。その彼らにとって、何かが死んだのだ。日曜日は、その軽やかな青春をすり減らした。今は若鶏とタルトを消化して、外出のためによそゆきに着替えなければならない。》

 これも分かる気がするではないか。われわれは、いざ日曜と思って出かけ、特別な何かをし、何かにありつこうとあくせくする、しかし、そのたびに「何かが死ぬ」というのである。何のことはない、それは〈時〉が過ぎた、ということなのだ。だがここで、自分を含めた人間たちを小憎らしく突き放してみようとする青年の目は光っている。
 「彼ら」は性懲りもなく、さらに外出しようとする。映画館へ、墓地へ、親戚訪問へ、そして、防波堤へと。

《私は静かなブレサン街を歩いた。太陽は雲を散らせて、よい天気になっていた。「波」と名づけられた別荘から、ひと組の家族が出てきたところだ。娘は歩道で手袋のボタンをはめている。三十歳くらいになるだろうか。母親は玄関前の階段のいちばん上の段に立って、ゆったりと息をしながら、自信ありげにまっすぐ前方を見ていた。父親は大きな背中しか見えなかった。鍵穴の上に屈みこんで、ドアの鍵をかけているところだ。家は彼らが帰るまで、空っぽで真っ暗になるだろう。すでに錠がかけられて人気もなくなった近所の家々では、家具や寄せ木の床が静かにきしんでいるだろう。外出に先立って、食堂の暖炉の火は消されていた。父親は二人の女に追いつき、一家はひと言も交わさずに歩き始めた。どこへ行くのだろう? 日曜日には大きな墓地に行くか、親戚を訪問するか、ないしはまったく自由な人なら、防波堤に散歩に行くものだ。私は自由だ。だから私は防波堤の散歩道に通じるブレサン街を進んで行った。》

 よく書けている。満たされた家族の巧みな描出。母親の自信ありげなまなざしさえあれば、父親は大きな背中だけで十分と思わせ、あとは家のきしみでも聞かせれば、一家の〈存在〉は手ごたえあるものとなって伝わってくるのだ。
 注意すべきは、ここで「私は自由だ」以下、自分への意識転換が、改行なしに続いていることである。「自由だ」と見えを切っているようだが、実は、それは幸せ(そう)な家族のイメージに対抗するために貼り付けられた強がりのように見えてしまっている(原文を確かめようとしたが今ここに無く、project gutenberg にも未入故、いつか。→★原文も改行なし)。『嘔吐』の酷評を書いたナボコフならばロカンタンを嗤うだろうが、私はむしろ、こうしたロカンタンの若さと弱さ、その何とか自分を支えようとする姿勢に引かれるのだ。
 しかし、そこはあくまで「ブレサン街」──ある固有に〈存在〉する街区での出来事なのだ。緻密に認知され、語られる都市空間、『異邦人』とはまるで異なった視線でつかまれた世界の広がりがここにある。その視線は礼を失しない程度にまんべんなく周囲に向けられ、執拗に認識し、冷たさとユーモアも、そして弱さをも含んだ言葉となって人々を把捉し尽くそうとするかようだ。まるで、彼の手にある『ウジェニー・グランデ』の作者の眼力をまねたかのように。

 そして海が開けるのだ。

《空は淡い青色だった。幾筋かの煙と軽く刷毛ではいたような雲。ときおり、一つだけ離れて浮かぶ雲が太陽の前を過ぎて行く。遠くに、防波堤の散歩道に沿って走っている白いセメント造りの手すりが見える。海が手すりの隙間を通して輝いている。例の家族は右の方へ、オーモニエ=イレール街に出た。〈緑の丘〉の方に登って行く道である。彼らがゆっくりした足どりで坂を上がって行くのが見えた。アスファルトのきらめく道の上で、彼らは三つの黒い斑点を形作っている。私は左へ曲がって、ぞろぞろと海岸を練り歩く群衆のなかに入った。》

 「海が手すりの隙間を通して輝いている。」──機知による美の把捉。一家はもう彼方へ行かせて、「私」は左に曲がり、「群衆」の中に入る。

《この人たちは朝と違って雑多だった。彼らは一人残らず、昼食前には見事な社会的序列をあれほど誇っていたのに、もはやそれを維持する力も失ったように見えた。卸売業者と役人が肩を並べて歩いている。彼らは貧相などこかの従業員たちとすれ違ったり、身体がぶつかって押しのけられることさえある。特権階級も、エリートも、職業的な集団も、このぬるま湯のような群衆のなかに溶けこんでしまった。彼らはもはや何も代表していないほとんど孤立した人たちになっていた。》

 なるほど、午前中の階層化された堅固な秩序は、海のひろがりの前でもはや威力を失ったかのようである。ロカンタンは、いまや「孤立した人たち」に変じた「彼ら」の中に入る──「私」の「自由」もここで無事解放されるのだろうか。
 つづく海と漁船と浚渫(しゅんせつ)船と労働者の描写もなかなかすぐれているが、先に進もう。

《これが日曜日だった。散歩道の手すりと別荘の柵のあいだに挟まれて、群衆は少しずつ流れ、大西洋横断航路会社の大きなホテルの裏手に、無数の小川となって消えて行く。なんと大勢の子供がいることか! 乳母車に乗せられ、腕に抱かれ、手を引かれた子供、あるいは二人、三人と連れだって、取り澄ました様子で両親の前を歩いている子供たち。ほんの数時間前に見たこの人たちは、日曜日の朝の若さのなかで、みなほとんどほとんど勝ち誇ったような顔をしていた。今はしたたるほどの太陽を浴びて、ただ落ち着きと、くつろぎと、一種のこだわり以外に何ものも表現していなかった。
 動作もわずかである。たしかにまだときおり帽子の挨拶は交わされるが、朝と違って大げさなものでもなく、勢いこんだ陽気さもない。コートを膨らませて吹きつける風にさらされて、誰もがいくぶん仰向きになり、遠方に視線を投げながらよろよろと少し後ずさりする。ときどき乾いた笑い声がもれるが、それもたちまち押し殺される。一人の母親の叫ぶ声。ジャノ、ジャノ、ちゃんとおやりってば。それから沈黙。ブロンド色の軽いタバコの微かな匂い。吸っているのは店員たちだ。サランボー、アイシャ〔煙草の銘柄〕、日曜日用のシガレット。いっそう投げやりないくつかの顔の上に、私は多少の悲哀を読みとったような気がした。だが違った。この人たちは悲しいのでも、陽気なのでもなかった。彼らは休息していたのである。大きく見開かれて動かない彼らの目は、受け身に海と空を反映していた。もうじき彼らは家に帰り、家族だけで食卓を囲んでお茶を飲むだろう。今のところ彼らはできるだけ費用をかけずに生きようと、動作も言葉も思考も節約して、力を抜いて浮き身をしているのだ。一週間の労働が与える皺や、目尻の小皺、つらい皮膚のたるみを消すのに、彼らはたった一日しか持っていない。たったの一日だ。彼らは時が指のあいだから刻々と流れ去っていくのを感じていた。月曜日の朝に気分一新して再スタートするべく、充分な若さを蓄えるだけの時間があるだろうか? 彼らは胸一杯に呼吸する。海の空気が活力を与えるからだ。眠っている人たちと同じような規則正しく深い呼吸のみが、いまだに彼らの生きていることを証明している。私は足音を忍ばせて歩いた。休息中のこの悲劇的な群衆に囲まれて、私は自分の強靱で新鮮な肉体を扱いかねていたのである。》

 なぜ私は若い頃、このすぐれた一節に目を止めなかったのだろうか。あるいは、しばし心動かされたとしても、忘れてしまったのか。それさえも、今となってはさだかではない。生活も、家族も、労働にも、目が止まらなかったかつての自分を恥じるのである。
 ここには、生活者の描出と「私」の「彼ら」に向けた理解が、たしかなかたちで並べられ、対峙し合っている。そして、「彼ら」──人々に対する解釈から、「私は足音をしのばせて」と、やはり改行なく自分へと向かう文脈が、前述の例とは異なり、ここではより落ち着きをもった動きとなっていることにも注意しよう。

《海は今やスレートのような色になった。そしてゆっくりと高まってくる。夜になったら満潮になるだろう。今夜、防波堤の散歩道は、ヴィクトール・ノワール大通り以上に人通りが稀になるだろう。前方の左手には、航路に一つの赤い火が輝くだろう。
 太陽がゆっくりと海に落ちて行くところだった。沈みながら太陽は、ノルマンディ風山小屋のような家の窓を真っ赤に燃え上がらせた。それに目の眩んだ一人の女は、物憂い仕草で片手を目にあて、頭を振った。
 「ガストン、眩しいわ」と彼女はためらいがちな笑いを浮かべながら言う。
 「なんだ! かわいい太陽じゃないか」と夫は言う、「温めてはくれないけれど、これはこれでやっぱり楽しいものだよ」
 彼女は海の方を見ながら、なお言う。
 「あれが見えるかと思ったのに」
 「そりゃ無理だ」と男は言う、「逆光だからね」》

 またしても、いささか芝居じみてはいるが可憐な男女の会話があり、夜が迫ってくる。女が見たがったのは「カイユボット島」であるという。それもたしかに〈存在〉しているかのように名付けられているが、注によれば、「カイユボット島」とは画家ギュスターヴ・カイユボットから取った名だという。ならば、われわれはここで『坊っちゃん』の、あの「ターナー島」を連想することにしよう。その諧謔味も含めて。

《光は和らいだ。この不安定な時刻には、何かが夜を予告していた。すでに今日の日曜日は一つの過去を持ったのだ。立ち並ぶ別荘や防波堤の灰色の手すりは、直前の思い出のように見えた。顔からは次々とゆとりが失われていき、いくつもの顔がほとんど優しくなった。
 身ごもった一人の女が、粗野な様子の若い金髪の男にもたれかかっていた。
 「ほら、ほら、見て」と彼女は言う。
 「何を?」
 「ほら、ほら、カモメよ」男は肩をすくめた。カモメなどいはしない。空はほとんど純粋とも言えるものになり、水平線のところがいくらか薔薇色に染まっていた。
 「声が聞こえたのよ。ほら、カモメが啼いてるわ」
 彼は答えた。
 「何かがきしんだんだよ」
 ガス灯が一つ、きらりと光った。私は点灯夫が通って行ったのだろうと思った。子供たちは彼を見張っている。家に帰れと言われるからだ。しかしそれは太陽の最後の反映にすぎなかった。空はまだ明るかったが、地上は薄暗がりに浸されている。群衆はまばらになり、海のざわめきがはっきり聞こえてきた。手すりに両手でよりかかっていた一人の若い女が、空の方に顔を上げたが、青く見えるその顔には、口紅が黒い線となって引かれていた。私は一瞬、自分がこれから人間を愛し始めるのではないかと疑った。しかし結局のところそれは彼らの日曜日であって、私の日曜日ではなかったのだ。》

 これもすぐれた場面である。たしかに、「カモメなどいはしない」のだ。
 「私は一瞬、自分がこれから人間を愛し始めるのではないかと疑った。」──泣かせるではないか。この知性溢れる青年もやはり「愛」を求めていたのだとは。しかもそれはよく見れば、自分の日曜日ではなく「彼らの日曜日」だったのだ、というのだ。かつての私はたぶん、ここには線を引いたのではなかったか。
 そして今の私も、はたして「われわれの日曜日」はどこにあるのか、と問うてみる。
 即座に、それは目の前に「毎日が日曜日」として広がっているではないか、という答えが返ってくるだろう。週日との境目などもはやなく、ひたすらに彼方へとつづいた安息日として、〈いまここ〉に、あるではないか、と。

 今日はここまでにしておこう。まだ、作中の「日曜日」には、美しい夜と光とが残っているのだが……。

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