hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

【旧稿より】猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』

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書評・猪瀬直樹著『ピカレスク 太宰治伝』
 辛辣な本である。だがその辛辣さ、太宰治井伏鱒二を語って有無を言わせぬ調子には、一種の爽快感がある。読み手はぐいぐいと引っ張られ、埋もれた過去があたかも辣腕刑事のごとき著者の手にかかって無残な姿をさらすのに立ち会わされるだろう。甘さを控えた、共感を求めぬ文章が、むきだしの何かへと読む者を不断にあおるのである。
 玉川上水入水を枕に、弘前高校時代の第一回自殺未遂から始めて青森から東京へとたどる太宰の青年期は、徹底した調査に支えられて細部が生きている。弘前高校でのライバル上田重彦(石上玄一郎)の目を通して描かれた太宰像も新鮮である。
 上京後、青森の芸者を足抜けさせて結婚許可を得たのも、また、その最中の銀座の女給との心中未遂も、要因には生家からの援助に対する執着があると著者は見る。財産分与をねらってひと芝居打ったはずが「分家除籍」という予想外の結論を突きつけられたため、今度は別の女との狂言自殺で結婚話をご破算にして除籍を取り消し、出来れば左翼活動とも縁を切って窮状を打破せんと企てたが、本当に女を死なしてしまうという番狂わせが生じたのだという推理である。真相は確かめるべくもないが、著者の眼は鋭くその筆はあくまで乾いている。
 井伏鱒二を語る姿勢も手厳しい。中学時代に森鴎外に偽の手紙を出した件を白状した井伏の文章にも「魂胆」を嗅ぎつけ、「山椒魚」をチェーホフの影響によると述べたのも、実は本当の「種本」を隠すためだったと解するのである。しかし、井伏作品の問題点をいくつも指摘する筆者は、同時にその不遇感、人間関係に対する忌避の奥に早大教授片上伸から受けた「トラウマ」を見ている。そこには、太宰をもふくめたかつての「文学青年」らの不如意の悲しみが滲んでいるかのようだ。
 太宰は「井伏さんは悪人です」と書いて死ぬ。井伏の「共感能力の欠如」を難ずる著者の言を読みつつ、いかにも小心で不器用な井伏が気の毒になったのは、ひいき目だろうか。「身過ぎ世過ぎだよ」と洩らしたという井伏の言が、本書への答えとも見えたのである。