hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(4)──さらに、土曜日

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 サルトルは『嘔吐』に「メランコリア」という題を考えていたという。デューラーの絵から、そして、もちろん「私」の心のありようからだ。
 いったい、「私」(ロカンタン)には何が起こったのか。そしてそれを読んだ50年前の私には何が見えたのか。それを考えるために、私はこうして書いているのである。作品の評価ではなく、〈読み〉をめざして。
 先走りたい気もするが、もう少し順繰りに読んでいこう。何より、自分がかつて何を読んだのかを確認するために。
 といっても本文全てに対する〈読み〉を記していくわけにはいかない。「独学者」の部分はもうスキップして先に行こう。それに、あのカフェのレコードで古い「ラグタイム」を耳にするみごとな場面も。そこにある、人々の声や動きのただ中で、どのように〈音楽〉が現出しついで消えたかの、臨場感あふれるスリリングな描写も。
 土曜日に「独学者」と会った後で、ロカンタンはこう考えるのだ。

《私が考えたのは次のようなことだ。ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りまかれて生きており、自分に起こるすべてのことをそうした話を通して見ているからだ。そのために彼は自分の生を、まるで物語るように生きようとするのである。》『嘔吐』鈴木道彦訳 以下同様

 これは直ちに分かるだろう。つまり、人は自分の生を物語ることでそれをある「冒険」すなわち物語として作り上げるのだ、ということである。様々な人や自分の話を聞いてきた中で、われわれは一つのストーリーを実現するかのように生きようとまでするのだ、ということだろうと。
 「私」はさらに考える。

《しかし選ばなければならない。生きるか、物語るかだ。たとえば私がハンブルクで、あのエルナという信用のならない女、向こうも私のことを怖がっていた女と同棲していたとき、私は実に奇妙な生活をしていた。しかし私はその内部にいたのであって、それを考えていたわけではない。そうしたある晩、ザンクト・パウリ〔ハンブルグの歓楽街〕の小さなカフェで、彼女が手洗いに行くために私のそばを離れたことがある。私は独りきりで席にいたが、そのカフェには蓄音器があって、「青空」がかかっていた。そのとき私は、下船してから起こったことを自分に物語り始めた。私はこう自分につぶやいた、「三日目の晩、《青い洞窟》と呼ばれるダンス・ホールに入って行ったときに、私は半ば酔っぱらった大柄な女に目をとめた。それこそ、いま私が『青空』を聴きながら待っている女であり、間もなく戻って来て私の右側に座り、私の首に両腕をまきつける女である」と。そのとき私は、自分が冒険を体験していることを激しく感じた。けれどもエルナが戻って来て私の横に座り、私の首に両腕をまきつけると、私はなぜかよく分からないが彼女が厭わしくなった。いまはその理由が理解できる。それはふたたび生きることを再開しなければならず、冒険の印象が消えてしまったからなのだ。》

 引用しているのは、鈴木道彦氏の新訳で、適度の固さと冷たさを持ちクールであるが、いかんせん、「私」の思考はそれによって必ずしも明確にはならない。が、魅力的な文体は反復して読む気にさせるので何度か読んでいくと、文脈が開けて頭に入ってくる。
 すなわち、ここでは、物語は生そのものではなく、生の実相とは物語のような道筋をつけがたい雑駁な、あるいは錯綜したものだというのだろう。そのため、人はただ生きるのではなく、それを物語ろうとし、また、物語のように生きようとさえするのだ。しかし、いざ現場に戻れば、せっかくの物語は消えて、生の内部にあって、無意味に襲われてさえしまうのだ、と。

《人が生きているときには、何も起こらない。舞台装置が変わり、人びとが出たり入ったりする。それだけだ。絶対に発端のあった試しはない。日々は何の理由もなく日々につけ加えられる。これは終わることのない単調な足し算だ。ときどき、部分的な合計をして、こうつぶやく、旅を始めてから三年になる、ブーヴィルに来て三年だ、と。結末というものもない。一人の女、一人の友人、一つの町との訣別が、たった一度ですむことは絶対にない。それに、すべてが互いに似ているのだ。上海、モスクワ、アルジェは、二週間もいるとどれもこれも同じになる。ときおり──それもごく稀にだが──現在の位置を確認して、自分は一人の女と同棲しているとか、厄介な話に巻きこまれた、などと気づくことがある。それもほんの一瞬のことだ。そのあとには行列が再開し、何時間、何日、という足し算を人はふたたびやり始める。月曜、火曜、水曜。四月、五月、六月。一九二四年、一九二五年、一九二六年。
 これが生きるということだ。けれども生を物語るとなると、いっさいが変わる。ただし、それは誰も気づかない変化だ。その証拠に、人びとは真実の話を語っているからだ。あたかも真実の話というものがあり得るかのように。出来事はある方向を向いて起こり、われわれは逆の方向に向かって物語る。たしかに、発端から始めているようには見える。「それは一九二二年秋のある美しい夕方のことだった。私はマロンムで公証人の見習いをしていた」と。しかし実は結末から始めているのだ。結末はそこにあり、目には見えないが現にその場に存在している。このいくつかの言葉に発端の持つ厳めしさと価値とを与えるのは、結末である。「私は散歩していた。それと気づかずに村からすでに出ていた。私は金銭上の悩み事を考えていた」。この文章は、ただありのままに受けとれば、男が鬱々と、冒険とはかけ離れたところで、まさに出来事を見ることもなくやり過ごすような気分に浸っていることを意味しているにすぎない。しかし結末はすでにそこにあって、すべてを変貌させている。われわれにとって、男はすでに物語の主人公だ。彼の沈鬱な気分や金銭上の悩みは、われわれのそうしたものよりはるかに貴重で、将来の情熱の光によってすっかり黄金に染まっている。そして話は逆方向に進行する。各瞬間は互いに行き当たりばったりに積み上げられることをやめて、それらを引き寄せる物語の結末によってくわえこまれる。そして今度はそれぞれが先立つ瞬間を引き寄せる。「夜だった。街には誰もいなかった」。この文は無造作に投げ捨てられていて、余計なもののように見える。しかしわれわれはそれに騙されることなく、この文をわきに取っておく。これは、あとからその価値が理解される情報なのだ。そしてわれわれは、主人公がこの夜のすべての細部を、まるで冒険の予告か約束のように経験したと感じる。あるいはむしろ、冒険の約束となる瞬間のみを経験したのであって、冒険を予告しないすべてのものは目にも見えず耳にも聞こえていないとすら感じる。われわれは、未来がまだそこにないことを忘れているのだ。男は何の前触れもない夜のなかを散歩しているのであり、夜がその単調な富をごたごたと提供しているのに、彼の方は何も選ばなかったのである。
 私は自分の人生の各瞬間が、回想の人生のように、秩序正しく継起することを望んでいた。まるで時間を尻尾から摑まえようとするようなものだ。》

 こうした考えもよく分かるのである。
 われわれが生きている現実は、けっして確定的なある発端があり発展があり結末がありといった形をとっているわけではない、それは発端であると同時に結末であり、結末であると同時に発端であり、すべてが発展であり、またすべてが発端でもある、等々、いくらでも〈物語的理解〉に反論することは可能なのだ。
 しかしまた、それでは、人は〈物語〉なくして世の事象、そして、自分の生の様相を理解することははたして可能なのか、と反問することもできるだろう。むしろあらゆる理解は〈物語〉を含んでいるのではないか、と。たとえ、合理的であれ、哲学的であれ、政治的であれ、科学的であれ、理解という咀嚼・消化は、それぞれにストーリーやプロットを、その腸のようにくねくねとした内部に貼り付けているのではないか。そして、それなしには、つまり尻尾から捕まえてみようとするしか、われわれには絶対的な時の動きを人間として〈理解〉するすべがないのだともいえるだろう。
 現によく見れば、このロカンタンの冗語も十分に〈物語〉的要素にまみれ、またその強烈な誘惑の痕跡をこそ見せているともいえるのだ。読み手が、そこにないものねだりをしたがるほどに。
 今の私には、こうしたロカンタンの哲学者ぶった物語批判は衒学的で、まだまだ先に〈時〉があると思える若い人間の余裕からきているものとも見えてくる。後先がいくらも残っていないという時期になれば、人はいやでも、自分の過去を尻尾からつなげ直してあらためて〈理解〉したくもなるものなのだ。かつまた、同時に、ロカンタンは若いがゆえにこそ迷い、疑い、恐れ、危機に瀕してもいるのだと、その切実な思いも見えるのである。
 それに対して、私はもう若くはない、だからこそロカンタンとは別種の余裕──居直りの術をも心得ている。それゆえまた、過去に恋々と執着するみずからの老人ぶりを嗤うことも可能となるのだ。さらには、密かに自己を疑いつつ、なお臆面もなく、そんなおのれの心の動き──メランコリアを、つれづれなるままにこうして書きとめることさえも。

#サルトル #嘔吐 #物語 #メランコリア