鼻風邪気味だが熱もなく、まさかコロナではなかろうと起き上がる。が、クシャミも出たのでルルならぬパブロン三錠。
天気もよいので朝の散歩。用心してゆっくり歩くと、見慣れた景色も長閑なものに変じてくる。公園のそこここには老人達。ほとんどが一人で、佇ち、腰掛け、歩いている。
見れば、池の端の岩の上で、前かがみになって、大きなレンズを足元に向けている人がいる。ちょうど向こうも顔を上げ、目が合ったので、思わず、
「とれますか」と声をかけると、
「ええ」という返事。
「何をとってるんですか」と聞くと、
「まあ、ここらを」と言う。
どうやら、岩肌の色合いや苔の付き具合などを写し取ろうという魂胆らしい。中々上手くいかぬらしく苦労しているようで、もどかしさが伝わってくる。
「どれぐらい」と聞けば、バケツ一杯の魚の代わりに、
「これぐらい」とデジタル画像をたっぷり見せてくれそうなので、
「ご精が出ますね」とだけ言って切り上げる。
その先にはバラ園。ほんの数輪、赤と黄色と白が、ちらほらと。
秋には咲きそろって、ボレロだ、ロココだ、ロンサールだ、と誇らしげだったのが、今は冬枯れ、晴れの姿は名札写真の中に収めて、つましく棘を立て、身を守っている。
その前には噴水塔。漱石の義弟鈴木禎次の設計という和洋折衷の名物。
水の枯れた噴水のそこここに、烏が五、六羽、つややかな黒羽をこれ見よがしに止まっている。刺激せぬようそっとベンチに腰掛ける。
そこで、ふと、先日の電話の話を思い出す。
同年輩の老友だが、妻の緑内障がすすみ、とうとうほぼ全盲になったのだという。何とも気の毒。それ以外は特に障害なく障碍者二級、大した援助もなく、家事全般は自分がこなしている。もともと買い物から料理まで経験あるのでそれほど苦ではない、などと淡々と話す。
さらには、何と自分も家庭内で大火傷をし、入院して手術。足の皮膚を移植したのだという。
「去年はさんざんだったよ、今年はすこしは明るくなるといいんだが」とぼそぼそ語るが、その声の落ち着きように敬服。腹をくくって、ゆっくりと苦の中を歩んでいる、といった調子である。
「いや、振り返ってみると、毎年毎年、色々あったね」
「これからも多分まだまだあるんだろうね」などと言い交して電話は終り。
中で一点、とくに共感したのは、全身麻酔の話である。
私は特別な胃カメラ検査で、彼は火傷の手術で、麻酔注入と同時に直ちに意識を失い、あたかも次の瞬間、と思って目覚めたら数時間も経っていた、という体験である。
漱石の「三十分の死」ならぬ数時間の死だったね、と笑いあったが、あれは気持ちがよかったなあ、とまた共感。
できたら、あんな風に行きたいものだね、とまたまた共感。
さて、子無しの彼らはどんな正月を送ったのだろう、などとしばし思って、ふと気がついた。
陽光はまだ燦々と降り注いでいる。
ああ、今でもいいな、と思いつつ、またゆっくりと歩き出す。
極楽ももう午(ひる)に近くなっていたのである。