hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(3)──別の金曜日

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私は前回、「独学者」を持ち上げ過ぎたようだ。
『嘔吐』の「独学者」は、たしかに高邁な目標を掲げているようだが、同時にまた、ロカンタンを著述家とみてすり寄って来る俗人である。教養を求める彼は、決して、自分が読んだものに対して、ドン・キホーテのような没入も、正面切っての対峙もしないだろう。そんなことをしていては、元気はつらつとして、アルファベット順の次の本に取り掛かれないからである。

では、ロカンタンはどうか。

《金曜日、三時
もう少しで、鏡の罠にはまるところだった。私は危うくそれを避けるが、今度は窓ガラスの罠に落ちこむことになる。暇つぶしに、私は腕をぶらぶらさせながら窓に近づく。工事現場、板塀、旧駅──旧駅、板塀、工事現場。大きな欠伸をしたので、目に涙が浮かぶ。私は右手にパイプを、左手に刻みタバコ入れを持っている。パイプにタバコをつめなければならないだろう。しかしその気力がない。腕をだらんと下げて、額を窓ガラスに押しつける。》

また始まるぞ、といった感じだろうか。この若い研究者は、無味乾燥なホテル暮らしを続けたせいか、この頃、自分と周囲との関係が不安定となり、時にいたたまれなくなるのである。
ロカンタンは鏡の中の自分を見ると目が離せなくなるので鏡を避け、代わりに、窓ガラスの罠に落ち込んだのだという。「暇つぶしに」? いい気なものだ。何を大袈裟な、と思いつつ、また分かる気もするのである。
鏡や窓は見るためにある。そこで彼は、見るということを見ようとしてしまうのだ。見ているモノを、見ている自分を、そして見ていることをも見ようとして動けなくなるのである。見ること、それは意識することと言い換えることもできるだろう。

では、ここでロカンタンは、窓から何を見たのか。

《そこに見える老婆が私を苛々させる。彼女は虚ろな目つきで、意固地に、小刻みな足どりで歩いている。ときおりまるで見えない危険がかすめて行ったように、怯えた様子で立ち止まる。私の窓の下に来た。風で彼女のスカートは膝にぴったりとはりつく。彼女は立ち止まって、スカーフを直す。手が震えている。ふたたび歩き始める。今は背中が見えている。老いぼれワラジムシめ!
きっと彼女は右に曲がってノワール大通りに入るのだろう。そうなるとまだ百メートルほど歩くことになる。あの調子なら、たっぷり十分はかかるだろう。その十分ほどのあいだ、私はこうして額を窓ガラスにつけたまま、彼女を眺めつづけるだろう。彼女は何度となく立ち止まり、また歩き出し、また立ち止まるだろう……。
私は未来を見ている。未来はそこに、通りにおかれており、現在よりも心持ち色が薄いだけだ。どうしてその未来の実現される必要があるのか? それは何をつけ加えるのだろう? 老婆は足を引きずりながら遠ざかって行く。立ち止まる。スカーフからはみ出している灰色の髪の毛をかき上げる。彼女は歩く。彼女がいたのはそこだ。今はここにいる……私にはもう自分がどうなったのか分からない。彼女の動作を見ているのだろうか、予測しているのだろうか? もう現在と未来を区別できない。にもかかわらず、それは続き、少しずつ実現されてゆく。老婆は人気のない通りを進んでゆく。男物の大きな靴を移動させてゆく。これが時間だ。むき出しにされた時間だ。それはゆっくりと存在に到達する。それは待たれている。そしてそれがやって来ると、われわれはうんざりする。それがずっと前からすでにそこにあったことに気づくからだ。老婆は通りの角に近づく。今では小さな黒い布のかたまりにすぎない。なるほど、そうだ、たしかにそれは新しいことだ。ついさっきまで、彼女はここにいなかったのだから。しかし新しいことだが、どんよりと色褪せており、けっして人を驚かせるようなことはあり得ない。彼女は通りの角を曲がるだろう。いま曲がる──ずっと永遠に。》

私はため息をついて顔を上げる、つよい共感にとらわれて。

ロカンタンは、一人の老婆が通りを歩くのを見ている。老婆の動きはのろく、もどかしい。その動きは、余計な細部に満ちてはいるが、単純で見極めやすい。その後に起こる未来が容易に見えると思わせるのだ。しかし、老婆はまだそこにいる、いや、もうすでにあそこに移った、そしてなおも進んで行く。
ロカンタンは「これが時間だ。むき出しにされた時間だ。それはゆっくりと存在に到達する。それは待たれている。そしてそれがやって来ると、われわれはうんざりする。それがずっと前からすでにそこにあったことに気づくからだ」という。
これは難解だろうか、確かに。が、同時に、いかにも普段われわれが経験している時間の感触を語っているとは思えないだろうか。
〈むき出しにされた時間〉──それをいま彼は感得したのであり、ただひたすら見るということが、〈時間〉をそこに現前させたのである。

老婆は、そのむき出しの〈時間〉の中を、ゆっくりと通りの角を曲がり消えていくのだ。まるでそこに、「永遠」の足跡を残すかのように。

#サルトル #嘔吐 #時間