hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『異邦人』――他者との遭遇

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    曇天の下、一本道を行くと、向こうから女の乗った自転車が近づいてきた。マスク越しに何やら真剣そうな顔が覗いている。左の塀に沿って歩いていた私は、自転車も塀ぎわをやって来るので、手前でかわそうとして右側に移った。すると、女もつられたのか、彼女の左側、つまり私の動いたと同じ側へハンドルを切ったのだ。危うく衝突というところを、何とかよけてやり過ごす。女は何事もなかったかのようにペダルを踏み、みごとにすれ違っていった。
    そこで思い出したのはこんな場面である。

《私がちょうど食べ始めた時、小柄の風変わりな女が入って来た。同席してもよいかと私に尋ねる。もちろんかまわない。女はぎくしゃくと動き、小さなりんごのような顔で、目を光らせている。上着を脱いで腰掛け、熱心にメニューを調べた後でセレストを呼ぶ。はっきりした声で料理をみなあわただしく注文し、前菜を待つ間に、バッグから紙片と鉛筆を取り出して、注文分を前もって計算し、チップを加えた全額をポケットから出してきちんと目の前に揃えた。前菜が運ばれるといそいで飲み込み、次の料理が来る間、今度は青鉛筆と今週のラジオ番組の載った雑誌を出して、細心の注意をもって番組を一つひとつチェックし出す。十数ページあるので、食事中も注意深く作業を続ける。私が食べ終わっても、まだ熱心に同じ作業を続けている。やがて女は立ち上がり、機械のような正確さでジャケットを身に着け、そそくさと出ていった。私は特にすることもないので、外に出てしばらく女の後を追ってみた。女は歩道の石畳の上を、信じられないほどの速さと確実さで、振り返りもせず自分の道を進んで行った。私はやがて女を見失い、また元の道を引き返した。妙な女だと思ったが、じきに忘れてしまった。》カミュ『異邦人』第一部5 私訳

    他者はこんな姿でわれわれの前に現れてくる。
    ムルソーは、母の葬式の後で女友達と会い、海に行き、喜劇映画を見たことを非難される。無感動で、冷淡な人間と見られているが、周囲に向かう彼の視線はダイレクトで、好奇心もある。
    ただ、そこにはさらに独特な何か――個性があるのだ。

《暗い階段を上っていくと、同じ階の向かいのサラマノ老人と出くわした。彼は犬と一緒だった。八年間彼らは一緒だ。スパニエルは赤毛らしかったが、皮膚病ですっかり毛が抜け、褐色のかさぶたや斑点だらけだ。狭い部屋で犬と一緒に暮らしてきたので、老人はすっかり犬に似てきた。顔に赤みをおびたかさぶたがあり、髪は黄色で薄い。犬の方は、主人から、鼻を突き出して首を伸ばした猫背のような姿勢を学んだ。彼らは同類のように見えるが、いがみ合っている。一日二回、十一時と六時に老人は犬を連れて散歩に行く。八年間、彼らのルートは同じだ。人々はリヨン通りを行く彼らを見る。犬が人間を引っ張り、老人がつまずくまで引きずる。それで、老人は犬を殴り、ののしる。犬はおじけてはいつくばい、ずるずる引きずられる。引っ張るのは今度は老人だ。犬はそのうちまた忘れて主人を引きずり出し、殴られ、ののしられる。彼らは歩道に立ち止まり、互いをながめる。犬は恐怖を持って、人間は憎しみを抱いて。こんな毎日だ。犬が小便をしたくなっても、老人は十分な暇を与えず引っ張るので、スパニエルは彼の後ろにしたたりの跡を残す。たまに犬が部屋ですると、また殴られる。これが八年間続いているのだ。セレストはいつも「ひどい」と言うが、本当のことは誰にも分からない。階段で出会ったとき、サラマノは犬をののしっていた。老人は「こん畜生、腐れ犬!」と罵倒し、犬は唸る。私が「こんばんは」と言っても、老人はののしり続けた。犬が何をしたのか聞いても彼は答えず、「こん畜生、腐れ犬!」というだけだ。犬の上にかがんで、首輪を直しているらしい。私が大きな声で話すと、彼は振り向きもせずに、怒りを抑えた声で「こいつ、いつもこうなんだ」と答えた。それから彼は、四肢を踏ん張り唸る動物を引きずって外に出て行った。》同3

    描かれているのは、冷酷なエゴイストというよりは、ありきたりの若い勤め人である。彼はあたりを見回し、人々の立ち居振る舞いをながめ、知ろうとする。犬がいなくなって狼狽するサラマノには同情さえ見せる。ムルソーは、目の前の人間に向かい、その容貌と動作を認知し、理解しようとしているのだ。
    「太陽せいで」というアラブ人殺しのシークエンスは、世界に放たれた派手な号砲のようなものだが、小説の価値はかならずしも高音で轟くとはかぎらない。
    ムルソーの耳は、低いひそやかなを響きとらえている。

《ドアを閉めると、私はしばらく、踊り場の闇の中で動かなかった。建物全部がひっそりと静まりかえり、階段の底の方から、暗い湿った息吹がのぼってきた。耳の付け根で血が脈打つのが聞こえた。私はさらにじっとしていた。サラマノ老人の部屋で、犬が低い唸り声を立てた。》同3

    彼はいったい何を嗅ぎ、何を聞いているのか。
    街中で暮らす青年の前には次々に人間が現れ、それぞれの勝手な声音を響かせる。

《夕方、マリイが誘いに来て、自分と結婚したいか、と聞いた。私は、どっちでもいい、そうしたいならしてもいいと答えた。すると、愛しているのかと聞くので、前にも言ったとおり、それは何の意味もないことだが、たぶん愛してないだろうと答えた。「それじゃ、なんで私と結婚するの」と彼女は言う。そんなことは重要じゃないが、彼女が望むなら結婚できると私は説明した。それに、結婚したいと言ったのは彼女で、私はそれに答えただけだ。すると彼女は、結婚は重大なことだと言うので、私は「いいや」と答えた。彼女は黙ってしばらく私を見つめてから、もし、同じような関係で、別の女が結婚を申し込んだら承諾するのかとたずねた。「もちろん」と私は答えた。マリイは、自分が私を愛しているかどうかわからないと言う。私にもまるでわからない。またすこし黙ってから、彼女は、私は変わっている、そのために自分はたぶん私を愛しているのだろうが、同じ理由でいつか私が彼女をきらいになるかもしれない、と言った。私は何も言わなかった、別に言うこともなかったからだ。すると彼女は笑顔で私の腕をとって、私と結婚したい、と言った。彼女が結婚したくなったらいつでも結婚できると私は答えた。》同5

    マリイのとまどう顔が想像できるだろう。
    ムルソーは正直すぎるのである。少なくともいまここでは、彼は身もふたもないような答えをするしかないのだ。なぜなら、「たぶん愛していない」からだ。それが事実だからである。それでも、彼女が「結婚したい」と言い、自分は「結婚できる」、それなら結婚は可能となる。なるほど、それもまた事実なのだ。今の彼にとってそれ以上でも以下でもない。それ以外の顧慮も計画も存在しないのである。
    事実はときに残酷で異様なものとなる。正直さは覆っていたベールを剝がす。大人の配慮や心遣いは、自他の利益の妥協点をめざすが、この青年は、いまとりあえずの生活が続く中で、それ以外は「どちらでもよく」、「意味がない」と断ずるのだ。
    こんな正直さこそが断罪されたのかもしれない。アラブ人を撃ったことも、太陽がまぶしかったからだという、ばかばかしいほどの率直さで、彼の「異常性」は理解されようとする。
彼はむき出しの自分をさらしたまま歩いている。食堂で出会った女の奇妙さは、実はムルソーのダイレクトな注視によってこそあらわれてくるのだ。
    他者はわれわれの中にも潜んでいる。生活の必要が薄れ、“免疫”が減じてくると、不意に顔を出してわれわれ自身を驚かせるのだ。

JE est un autre. (「私」は他者である)――アルチュール・ランボー

 

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