hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

旧稿より

 表現と読解の価値についてあらためて考えてみたい。そのための手がかりとしたいのはカフカトルストイの作品と論述である。
《第一の説。オドラデクという言葉はスラブ語が起源で、それは語形からも明らかだとされている。第二の説。ドイツ語こそが起源であり、スラブ語はその影響を受けたにすぎない。いずれにせよ、どちらの説も頼りない。とりあえずもっともらしく考えるとすれば、どちらも的はずれで、そもそもそんなことをしても、この言葉の意味がわかるわけではない、となる。/むろん、そんなことをつぶさに調べてどうなるのか、という話だが、実際、オドラデクという名で、やつが存在しているのだからしかたがない。》(大久保ゆう訳)
 カフカの掌編の冒頭である。家に不思議なものが出没する。名を聞くと「オドラデク」と答え、「住所は不定」と言う。
 およそたわいもないお伽話か、あるいはまた、チェコ版「ざしきわらし」の一種かとも見える話である。しかしまた、カフカの現代における意義や、『変身』にも書き込まれた家族への思い、絆の深さなどを考えてみれば、「家のあるじの気がかり」と題されたこの一編もまた、家族や家にかかわる肝要な何かを示唆しているのではないか、とも思えてくるのだ。
 むろん、文章の力ということがあるだろう。いわくありげな語り口、文体の動きやリズム、耳慣れぬ語「オドラデク」の響き、等々、さらに、われわれにとっては、翻訳のあり方までが絡まった問題となるのである。そうしたもっともな条件を一応飲み込んだ上でなお、ここから何か切実なもの、身につまされるものが感じられるだろうか。
《やつは見た感じ、ぺちゃっとした星形の糸巻きみたいだ。しかも本当に糸が巻き付いているように見える。ただ、その糸はちぎれてぼろぼろで、結ばれ合うというよりはぐちゃぐちゃともつれ合っていて、なおかつその糸くずはそれぞれ違う色と材質であるようである。それでもって、やつはただの糸巻きにあらず、星の真ん中には短い棒が突き出ていて、さらにその棒から垂直にもうひとつの棒がぴたっとくっついている。平面に対して、一点にその垂直の棒、もう一点に星のとんがりをひとつ支えにして、まるで二本足みたく全体をまっすぐ立てることができる。》
 冒頭の続きである。ますますたわいもない作り話と見えて、馬鹿馬鹿しさに呆れて読み止める読者もあるだろう。しかし、冒頭ではすでに「むろん、そんなことをつぶさに調べてどうなるのか、という話だが」とのことわりもされており、どうせ後わずかだからと読了してみれば、なるほど、これはやはりカフカの作と呼ぶに相応しい一編だ、と納得もできるのである。
 そこには、いかにもカフカらしい細部の描出があり、ありそうでありえず、ありえぬながらありうるかのような、異化された世界の片鱗が唐突に現れ、しばしののち消えていくという感触があるのだ。
 後半では、「どうでもいいことだが、わたしはこう考えてみるのだ。これから先、やつはどうなるのだろう。死ぬことがあるのだろうか?」と、またしても「どうでもいい」と前置きしながらの、いわば及び腰の予測があり、「死ぬものはみな、あらかじめ何らかの目標を持ち、何らかのやることをかかえている。そして、そのためにあくせくする。」と、死すべきものであるわれわれを言うらしい言葉があり、「だがオドラデクの場合、こういったことが当てはまらない。もしかすると、やつはこれからも先、わたしの子どもや孫の足下で、糸をだらりとひきずりながら、かさかさ鳴くというのだろうか?」と、いよいよ「家のあるじ」の感慨らしきものが出てくるのだ。すなわち、「オドラデク」は、われわれのようにあくせくと何かをして一生を生きついでいくわけではない、したがって死ぬこともなかろう、と言うのである。
 そして、末尾となる。
《そりゃむろん、やつが誰にも害をなさないということはわかっている。だが、ぼんやりと、やつがわたしの死んだあともやっぱり生きているにちがいない、などと思うと、わたしはどうも悩ましくてしかたがない。》
 いったい、「わたし」はここで何を懸念しているのか。「どうでもいいことだが」と言いながら、オドラデクの何が気になり、何が悩ましいというのか。だが、それも、オドラデクそのものと同様はっきりとしないまま、作品の言葉はあっけなく途絶えるのだ。残るのは、ぼやっとかすんだ気がかりや不安の印象であり、また一方で、いかにも対照的に具体的な細部の描写と、なおかつ、明確には想像できぬ何ものかのイメージなのである。
 これを何かの喩えと読んだり、あるいは寓話と解することはむしろたやすいだろう。『変身』がまさにそう読まれただろうように、そこから現代社会へのメッセージや警鐘を受け取り、「オドラデク」を何事かの象徴とすることも可能である。
 しかし、澁澤龍彦は言うのだ。
《この完全な無意味性は、私たちのあらゆる先入見や固定観念から免れており、いわば私たちを途方に暮れさせるに十分なものであるだろう。オドラデクの意味について考えをめぐした途端、私たちは漠々たる虚無の中にほっぽり出されるのだ。/オドラデクは、もとよりアレゴリーでもなければ、たぶんシンボルでもないだろう。もしかしたら、これこそ物自体の顕現ではなかろうか、とも私は思う。すなわち、現象の背後にある物自体が、カフカの思惟を通過することによって、突然、目に見える具体物となって顕現したかのような感じなのである。だから、この物体は現象によっては何としても説明がつかず、また説明がつかないから一層刺激的なのだ。》(『思考の紋章学』)
 これは、坂口安吾文学のふるさと」を想い起こさせるすぐれた批評である。
《私達はいきなりそこで突き放され、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。》(「文学のふるさと」)
 安吾は、むごたらしくもモラルを欠いた話に「宝石の冷めたさ」のような「絶対の孤独」を見出すのだと言う。救いもなく、意味づけようもない出来事の表現を見せられ、とまどいつつも、人間の生存の根源を見すえようというわけである。
 だが、「文学のふるさと」が、いかにも安吾らしいはったりともいえる身振りを伴ったものだとすれば、澁澤の言葉もかなり大袈裟と見えるだろう。「無意味性」や「固定観念から免れ」る、「虚無の中」(これこそ安吾の力説した場所だ)、そして「物自体の顕現」といった語の多用は、概念的な規定から逸脱したい(あるいはすでに逸脱してしまった)と思いがちな、いわゆるポスト・モダン時代のわれわれには、いささか古びて胡散臭い印象があるかもしれない。
 そもそも、澁澤が「物自体」と見立てたオドラデクなるものも、よく見れば、小動物のように愛らしくさえ映るではないか。さらに、そこには滑稽さもある。オドラデクは、日本語では「木偶(でく)」とも聞こえて愛らしく、かつまた、いかがわしくもあり「オシラサマ」や「こけし」にもつながって、隠微な聖性や血の匂いさえ嗅げるかもしれないのだ。
 また、ここに書かれた父親の姿も、読み方によっては揺れが生ずるだろう。それは、自分の死後もあり続ける何かに懸念を抱く父であるらしいが、存続する家族の安泰を願いつつ、なおかつ、持続する家や家族に対し、どこかで懸念や違和感を抱く父かもしれないのだ。そう読めば、ちぐはぐな滑稽味と、また、一抹の呪詛をもふくんだ家族愛の感触が伝わり、さらに屈折した寓意を汲み取ることも可能となるかもしれない。
 すなわち、われわれは澁澤の言に動かされつつ、また、貪欲に他の解釈にも食指を伸ばしうるのだ。さらに言えば、澁澤の説くように、「完全な無意味性」の中での「物自体の顕現」をあらわしたものだとすることもまた、一つのアレゴリカルな読解だということもできるのである。
 その上でなお、カフカの表現世界に迫ろうとする澁澤の言葉の動きが、私を引きつけるのだ。それは、かならずしも読解の正確さ如何によるものではない。作品のつよい刺激を浴びた者が読み解こうとする執拗な動きとして、身に迫るものを感じるからである。だからこそ、その前に立ちはだかる「無意味性」の指摘も、強烈なものとして伝わるのだ。
 安吾は「突き放され」、澁澤は「ほっぽり出され」、孤独や虚無の中に取り残された自分を見出すようにして読み取り、評価する。私は、こうした読み手の思考の動きに、まさに切実な読みとりのかたちを見るのである。
 ただし、私がここで言う切実さとは、正しさや完璧さとは異なる次元のものである。個々の読解は完璧には至らず、時代によって捨てられていくこともある。だが、もしその切実さが人を動かす力を持てば、それは、さらに読む者に伝わり、あらたな読み取りを生み出す力ともなるはずである。
 次はトルストイである。
 トルストイ晩年の『芸術とは何か』(一八九八)は、決して緻密な論理によって人を動かした書物ではない。それどころか、ヨーロッパ芸術をのきなみ否定し去った暴論として、顰蹙をかったのである。それはまずオペラに対する毒舌から始まり、批判の鉾先は、ボードレールヴェルレーヌマラルメメーテルリンクユイスマンスときて、果てはベートーベンの「第九」にまで及ぶのだ。ヨーロッパでトルストイの評価が急落したのも、さもありなんと思えるのである。トルストイに傾倒していたリルケまでが「あの『芸術とは何か』という途方もない、愚かしいパンフレット」と述べている(と言いながらもリルケトルストイを慕ったのだが)。
 では、それらのデカダン芸術に反して、トルストイが称揚した芸術とはいったい何か。それはどれほど偉大か、あるいは特製品かと思いきや、実例として挙げられたのは、ヤスヤーナ・ポリャーナの百姓女達の唄であり、さらには、児童雑誌の小品、また北ウラルのヴォグゥル族の芝居なのだ。トルストイは、ヨーロッパで評判の小説を読んでみたが「ただの一分間も感動が起らず」、ふと子供の雑誌を開けて、名も知らない作家の「貧乏な家で後家さんが復活祭の用意をする話」が目にとまったのだ、と言う。
《その話というのは、母親がやっとの事で白い麦粉を手に入れて、それを捏ねるばかりにしてテーブルの上へ拡げて、パン種を取りに行くあいだ小屋から出ずに粉の番をしておいでと子供たちに言いつける。母親が出かけると、近所の子供たちがどやどや窓の下まで駈けて来て、通りであそばないかと誘う。子供たちは母親の言いつけを忘れて通りへ駈け出して遊びに夢中になる。パン種を持って母親が帰って来て見ると、小屋のテーブルの上では親鶏が地べたにいる雛子(ひよっこ)に残りの麦粉を撒いてやっているところで、雛子はそれを埃の中から拾っている。母親はがっかりして子供を叱るので、子供はわあわあ泣く。そのうち母親も子供が可愛想になって来る。しかし白い麦粉はもうなくなってしまった。くよくよしても始まらないからせめてもの足しに母親は、篩(ふるい)にかけて黒麦粉で復活祭のお菓子を焼いて、上から卵の白身をかけてそれに卵をあしらうことに決める。『黒パンはえらいよ、白パンの父ちやんだよ。』と母親は子供たちに諺(ことわざ)を言って聴かせて、白い粉のお菓子が出来ない慰めにする。子供はすぐ俏(しょ)げるのをやめて嬉しそうにはしゃぎ出して、口々にその諺を繰返しながら一層快活になってお菓子を待つ。/さて、どうだろう。》(河野与一訳、岩波文庫
 ここでトルストイに「さて、どうだろう」と聞かれて、われわれの胸に浮かぶものは何か。
 トルストイは、欧州の作家たちの作品にはただ「小説が書きたいというほかには何という心持もない」と切り捨て、それに対して、この子供向けの話には「作家が生活して味わって伝えようとした心持」があり、いっぺんで「感染」したのだという。すなわち、前者は芸術の出来そこないであり、後者は「感染力」がある真の芸術だとするのだ。
 当代の高度な作品に対して、いかにも素朴で生活感あふれる小品をぶつけようとするトルストイの批評の身振りは、人目を引き、痛快ともいえるだろう。しかし、ここには、そうしたことをこえて、表現の切実さに正対しようとする読解の姿勢が感じられないだろうか。トルストイによって再話された「子供と雛子の話」は、たしかにある力をもってわれわれに迫ってくるのである。
 次に挙げられたのは、ヴォグゥル族の芝居である。
 トルストイは、これもただ上演の記事を読んだだけなのだと言う。羊飼いの小屋の中で、二人のヴォグゥル人が鹿の毛皮を着て母の牝鹿と子鹿を演じ、もう一人が猟人となり、別の一人が鹿に危険を知らせる鳥となる。猟人に追いかけられて、鹿の親子は必死で逃げるが、子鹿はとうとう疲れ果てて矢に当たり、寄り添って傷をなめてやる母に向かって、猟人はまた矢を番える。
《見物人は、そこに居合わせた人の記事によると、手足を剛(こわ)ばらせて、みんなの間に重苦しい溜息や泣声さえも聞えている。私も、その記事を読んだだけで、それが本当の芸術作品だということを感じたのだ。》
トルストイは記している。この一片の記事に対するトルストイの読解もまた、読み手の心に強く迫るのではないか。
 トルストイは、芸術のはたらきを、「聴覚や視覚で他の人間の心持の現われを知るとその心持を表わした人が感じたのと同じ心持を感じる力」、すなわち「人間が他の人間の心持に感染する力」によるものとし、芸術とは、「一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って自分の味わった心持を他の人に伝えて、他の人がその心持に感染してそれを感じるようになるという人間のはたらき」である、と説く。これは、いかにも率直で明快な定義である。トルストイは、芸術表現の価値の土台にこうした人間の心の「感染」(infection)、すなわち他者に対する共感のはたらきをすえたのである。
 そして私は、こうしたトルストイの論述自体にも読解の切実な動きを見るのだ。そこには読み手を引き付け、緊迫させる力がある。つまり私は、トルストイの言う「感染力」を、芸術表現のみでなく、それを鑑賞し、理解する読解や論述までもが持ちうる力として、ひろげて考えたいのである。
 トルストイは、芸術をたんなる美の現われでも遊戯でもなく、「善に向う運動にとってもなくてはならない必要な人間の交通の手段、人間を同じ心持の中に結びつけるための手段」であるとまで断言してしまうのだ。しかしわれわれは、たとえ、ひたすら「善」を目指すトルストイ晩年の思想について行かれないとしても、その感染力や切実さに打たれることは可能なのである。ただし、そこには、〈文学否定〉ともいうべきトルストイの過激な問いかけと模索があることにも気づくべきだろう。
 『イワン・イリッチの死』(一八八六)や『クロイチェル・ソナタ』(一八九〇)にも模索がある。『クロイチェル・ソナタ』の、ベートーベンのソナタの恐ろしい感化力を説き、男女の交合を徹底的に罪悪視する姿勢にはデモーニッシュな激しさがあり、その極端な道徳的姿勢にもかかわらず、嫉妬と妻殺しの描出には異様な迫真力がある。なかでも、妻殺しの場は、『ボヴァリー夫人』の自死の長丁場に匹敵する恐ろしいまでのリアリティがあるのだ。
 また、『イワン・イリッチの死』の教訓的筋立ての中にも、味わうべきユーモアと生き生きとした人間像があらわれ、さらに、正宗白鳥を長年引き付けた切実さがあるのである。それらは、作者自身による倫理的自己規制を踏み越えてダイナミックにひろがっていく。そこにはつよい問いかけがあり、模索と希求の感染力があるのだ。そして、『芸術とは何か』もまた、そのダイナミックな読解と問いかけの力によって、まさにすぐれて切実な論述といえるのである。
 あらためて、切実さとは何か。それはいわば、つよく身につまされることであり、感染や共感によって伝わるものである。
 ここで、「感染」というトルストイの用語は一見場違いで乱暴にさえ聞こえるが、「共感」の日常性や能動性に比べてより激しく、かつ、受動的で危機的でさえあるかもしれない。そこで気づくのは、われわれは必ずしも選べるわけではないということである。人は趣味や主義主張によって感動するのではなく、突如、あるいはいつのまにか心動かされるのであり、だからこそ、それは新鮮な喜びとなり、また恐るべきものともなるはずなのだ。
 こうして人間の表現の切実さは他の人間にも伝わるものとなる。その感染は、本来他人に共感することを欲するわれわれ自身によって生じるのである。その意味で、トルストイが芸術を美の次元から、人間のつながりの場へとひろく解き放ったことは、画期的なことであった、というべきだろう。しかしまた、それはごく自然なこととして納得もできるのだ。
 そうした共感は、トルストイが否定せんとした諸々の美や退廃までをもふくんでひろがり、滑稽、悲哀、不安、絶望さえもが生気あるものとして伝播していくのである。むろん、トルストイ翁は「オドラデク」など一顧だにしないだろうが、われわれは幸いにも、『クロイチェル・ソナタ』にも「オドラデク」にも、ともに心を動かされることが可能なのだ。
 すなわち、そのような連関の中では、芸術表現につよく動かされ、それを名指しし、解明せんとする論述もまた、人と人とをつなぐ力となりうるのである。そして、そこで切に求められまたあらわれるものこそ、あるたしかな価値といえるのではないか。私は、ここに文学を論ずる原点がある、と考えるのである。
 
花、自然のアート作品のようです