hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

ワンプレートランチの夢──よしなし事

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 郊外のファミレスで友と語る。久し振りの店で、日替りランチが貧弱なワンプレートに。小奇麗なメニューに模様替えし、価格もかさ上げしたかのようである。それでもほぼ満席の盛況ぶり。配膳ロボットは未だ無く、店員数人で健闘中。
 ドリンクバー付にて、まずは、と行くと、ウーロン茶は消え、コーヒー、紅茶、それに水で薄めたジュースだけ。鼻息荒いコーヒーマシンの前には、すでに二つずつカップを手にした数人が並んでいる。
 ままよ、と席に戻り、会食。体調不良や病気自慢から始まり、過去の栄光や時代批判、床屋政談、自家の内情、相互憐憫、エール交換、などと進めば、老男友の“交歓フルコース”で満腹ともなるはずが、どっこい、畏友はそんなやわではない。
 まるで笠智衆のように、こちらの訴えや愚痴に、あゝそう、と頷くのみ。その毅然たる姿勢には、少々持病の影響もあるようだが、見かけはともあれ、さすが乗馬で鍛えただけは、と感心。
 それにしてもいささか張り合いに欠けるので、君の所はどうだい、と持ち掛けて、何とか隣の芝生の感触をさぐる。孫の成長、子らの職住、自家の平穏、まず異状無し、という中で、退職後も炊事はすべて妻がやっている、という話に一驚。
 掃除洗濯などは分担するが、メシは妻の方が上手いのでやってもらっている云々。いや、今後何が起こるか分からんよ、料理はかなりやっかい、今のうちから手を付けておいた方がよくはないか、だいたい奥さんは文句を言わないのか、とつっこむと、いや、妻も自分が作った方がおいしいのでやっているだけだ、と。
 本当だろうか。どうも、朝からいそいそと俎板の音をさせる、といった良妻のイメージはいまどき出来過ぎのように思えてならない、と、あらためて友の顔を眺めれば、口の端にマカロニのチーズが細い線となって垂れている。君、口に、と言ってやろうと思うが、つい、御前様の威光を損なっては、と言葉が出ない。むろん、こちらも老醜の見本なるゆえ、嗤う余裕も無し。
 などと、わだかまりつつワンプレートをつつき、ふと顔をあげると、向こうの席で中年女性数人が談笑中。中で、正面の一人が何やらこちらを見ている、あるいは、こちらに見られていると意識しているかのようだ、と気づく。
 あらためて店内を見渡せば、いずれもほぼ女ばかり。老夫婦は何組かあれど、家族連れにも大人の男は皆無、まして大の男二人で向かい合うなどという図は、平日の郊外ベッドタウンのファミレスにはまれなのか、と知る。
 ということは、あの五十代らしき奥方は、男二人連れの当方“御前様と寅次郎”を、老いたりとはいえど殿方としてマークし、かつ、このだらけたファミレスの店内で、はたして自分が女としてどう見られているか、と視線を向けているのでは、と愚考。
 たしかに、その女性はたんなる容姿や服装の見かけをこえた何かを、その目づかいによって発していると見えたのである。
 とたんに、味気ない返答を繰り返すだけの友の雄姿も、毎度今生最後かと思いつつなお忖度遠慮を脱し得ぬ己が身も一炊の夢のごとく霧消し、いずこからか漂うロマンチシズムの香りを感得。さて、寅さん変じて、盧生にあらぬ、老キハーノは……。

 自意識をもった人間の魅力、ということをあらためて感じさせられた午後であった。

 

#ドン・キホーテ #寅さん #邯鄲の夢 #ファミレス