hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

藤村『家』ーー時々に視点を移して…

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photo by mikaruma

  新聞販売店のチラシが入っていた。夕刊配達3時から1時間で月給3万円〜(時給1,200円位か)、事務スタッフ10時から2時間、時給1,000円(簡単なパソコン操作)、休日は日祝年末年始という。部数減が止まらず、販売店も大変なのだろう。そこで働く人もさぞやと思いつつ、私はある青年のことを思い出した。

  彼はかつての指導生で、新聞配達店の一人息子だった。ある日、親がかりの生活がもう厭になったので、中退して家を出、自力でやって行きたい、と言い出した。早まってはこれまでの努力が……などと話しても決意は固く、後日父親も心配して相談に来た。初対面の父親は思いあまったように話した。

  何とか引き止めようと散々やってみたが効き目がない。息子は、中学後半から新聞配達を手伝い、起伏のある道を自転車で毎日回ってくれたのだという。

  そんな親孝行な息子がある日、どうしても家を出ると言い出したのだ。実直そうな父親はほとほと困惑の体で、「あれはしっかりとした子で、文句も言わず家業を助けてくれました。受験勉強も自分でやり、頑張って大学に入ったので、将来を期待していました。それが、今になってこんな事を言い出したので、妻も私も困っています。これまで苦労もさせて来たので、頭から怒鳴りつけるわけにも行かず、一体どうしたらよいのやら」などと語った。

  何とか卒業だけはと、その後も説得を重ねたが功を奏さず、結局青年は自主退学することとなった。挨拶に来た彼は、「まずは上京して、コンビニのアルバイトをして暮らすつもりです」と決意を語った。特段の免許や、能力があるわけでもないが何とかやっていけると思う、と言うのだ。

  危なっかしい限りだが、強い意志を表し、目には希望が光っていた。数ヶ月前同じ椅子の上で、目に涙を浮かべた父親を思えば、まさに親の心子知らずである。何とも愚かしい限りと思ったが、それもまた一つの選択であり、新たな契機となるのかも知れぬ、とも感じた。

  爾来数十年、彼は今どうしているか。親御さんの新聞販売店はどうなったか。息子は結局立ち行かなくなり、家に戻って家業を継ぐなりしたか、あるいは、意地でも帰らず、今も東京で何とか暮らしているのか、家族も持って……等々、チラシを前にしばし想像を巡らせた。

  その時、私が頁を繰ってみたくなったのは藤村の長篇『家』である。様々な身内の者が、各々の気質や偏執につき動かされて浮沈を繰り返す様を、時々に視点を移して、当人の心情も書き取りつつ、作家となった三男の目で見届けて行く、というかたちで仕立てられている。

  時々に視点を移して、心情も汲み取りつつ見届けて行くーー然り、それこそ我々が周囲の人間達に向かって、これまでやって来たことそのものではないか。十分な理解や大仰な分析などは無くとも、その時その時の受け止めの積み重ねの中で何らかの理解を、また誤解を重ね、親和や反撥、妥協等々の葛藤を繰り返しつつ、日々繋がりを保って行く。そんな当たり前のことが、小説という、なにやらこまごまとした言葉のすがたとなって、次々に現れてくるのだ。

  果たしてあの青年はその後、と想像しつつ、いま私が最も会ってみたいと思うのは、あの販売店経営の父親、目の前で息子への思いを切々と訴えた親御さんである。