hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

結句サッパリしたくらいに思って……

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谷崎潤一郎はこう書いている。

 

《東京の下町には、所謂(いわゆる)「敗残の江戸っ児」と云う型に当てはまる老人がしばしばある。私の父親なぞもその典型的な一人であったが、正直で、潔癖で、億劫がり屋で、名利に淡く、人みしりが強く、お世辞を云うことが大嫌いで世渡りが拙(まず)く、だから商売などをしても、他国者の押しの強いのとはとても太刀打ちすることが出来ない。そんな工合で親譲りの財産も擦ってしまい、老境に及んでは孫子(まごこ)や親類の厄介になるより外はないが、当人はそれを少しも苦にしない。無一文の境涯になったのを結句(けっく)サツパリしたくらいに思って、至って呑気に余生を楽しんでいる。……見ように依(よ)つては市井の仙人とでも云うべき味があって、過去は兎も角も、そこまで到達した彼等に接すると、大悟徹底した禅僧などに共通な光風霽月(こうふうせいげつ)の感じを受けることがある。ところで私は、大阪へ来てからこう云う老人に出遇ったことがない。此方(こちら)の友人に聞いてみても、そう云う性格は関西には甚(はなは)だ稀であると云う》(「私の見た大阪及び大阪人」昭和7)

 

谷崎の父・倉五郎は、谷崎家の三女・セキの婿養子になったが、祖父から継いだ事業他悉く失敗し裏長屋暮しに転落。

初期の「異端者の悲しみ」は、家付き娘であった母と、毎日自分で飯を炊いて仕事に出る父と、さらに結核で臥せる妹との生活を描いた秀作だが、貧苦に喘ぎ、妻になじられ、娘を亡くす哀れな父が、ここではかく見直されてもいるわけである。

今も町にはこうした老人がいる。「敗残」などと失礼なことは言わずとも、千円札一枚、いや五百円玉一個でもあれば、町に出て人と会い、何がしかの楽しみを見つけ、半日を過ごせるだろう。何の屈託もなく余生を送るかに見え、呑気なものと感心する。むろん、それは外見そう見えるだけで、内実は知らない。が、それでもその飄然とした老いの姿には惹かれるものがある。

などと言う間に今浦島、はや高齢者となりおおせ、我が身をさてもいづちかもせん…等呟きつつフェイスブック界隈を覗けば、まさにそうした御仁が多く目につき、感心させられるのである。

どこそこで、何を見、聞き、語り、食した等々……その喜びに溢れた姿に励まされること頻りである。たとえ散々労苦を抱えた身であろうと、「市井の人」として人目には一人の先達なり、と映れば、それこそが功徳となるはずなのだ。

当方、なかなかそんな境地には至らぬながら、せめて笑顔で、と思いつつ歩を運んでいるところである。

大阪にこうした老人がいない……(云々と谷崎は述べ、さらに加えて不満を漏らしているのだが、それについては、またいずれ)、いやいや色合いや柄は些か異なれど、上方にも、同様のあるいはさらに上を行く御仁は必ずや、と私には見えるのだ。が、最早そんなことはどうでもよいと思えるのが、まさに老いの功徳か。

 

「結句サツパリしたくらいに思って、至って呑気に」何を見た、何を食った、何を思った、云々

……と我々には日々やらねばならぬ諸々のシゴトがあるのである、FB界隈の若い衆よ。

諸君と同様、生きるために。そして早晩サッパリと行くために。