hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(8)──日曜日の残り(2)「それは……彼女なのだ」

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 しばしの後、「私」=ロカンタンは「デュコトン広場の奥」をめざして動き出す。

《私はふたたび歩き始める。風がサイレンの叫びを運んで来る。私はまったく独りきりだ。しかし、一つの都市に殺到する軍隊のように行進している。この瞬間に、海上では幾隻もの船が音楽を響かせている。ヨーロッパのすべての都市で明かりが点灯される。ベルリンの街中では共産党員とナチとが発砲しあい、ニューヨークでは失業者たちがほっつき歩き、女たちは暖かい部屋で鏡台に向かって睫毛にマスカラをつけている。そして私はここに、この無人の通りにいる。ノイケルンのある窓から飛び出す一発一発の銃火、運ばれてゆく負傷者がもらす一つ一つの血にまみれたしゃっくり、化粧中の女たちの正確で細かな一つ一つの動作、それらが、私の踏み出す一歩一歩に、私の心臓の鼓動の一つ一つに応えているのだ。》

 1938年に『嘔吐』は発表された。ナチス・ドイツオーストリアを併合、翌年はポーランドに侵攻し、第二次世界大戦勃発となる時期である。中国大陸では日本軍が徐州を占領し、重慶爆撃も始まる。「私」はフランスの都市にあって、ベルリン・ノイケルン区での銃撃戦や、ニューヨークの失業者と化粧する女などを想像しているのだ。同様のきれぎれのイメージは、ロシアのウクライナ侵攻をはじめ各地で戦いが止まない21世紀のわれわれの脳裡にも浮かぶだろう。
 「私」は、それらを自分の歩みや心臓の鼓動に連動しているかのように感じるというのである。大げさで勝手な感受ではあるが、若者の心中で、同時代の世界に対する想像力、すなわち、〈いまここ〉に無いものをイメージとして想起しようとする力が働き、彼を「軍隊のように」と言うほどまで張り詰めさせ、個々のイメージに直面させているのである。

《パッサージュ・ジレの前に来たが、私はもう何をすべきか分からない。このパッサージュの奥で、誰かが私を待っていないだろうか? けれどもトゥールヌブリド街のはずれにあるデュコトン広場にも何かがあって、生まれ出るために私を必要としている。私は苦悩に満たされる。どんな些細な動作も私を拘束〈アンガジェ〉するのだ。自分が何を求められているのか、私には見抜くことができない。にもかかわらず、選ばなければならない。私はパッサージュ・ジレを犠牲にする。このパッサージュが何をとっておいてくれたのか、私は永久に知ることがないだろう。》

 こうした感じ方、各々の地区や通りに対するこだわりは分からなくもない。われわれにも上野、浅草、銀座があり、渋谷、新宿、池袋がある。広小路、六区、西銀座もあれば、道玄坂、歌舞伎町、ゴールデン街もあるのだ。それらが各々とっておきのイメージを差し出し、こちらも勝手なこだわりそれらに植え付けるのである。そして若い連中は、ときにそれを無理やり予感にまで高めてしまう。この若者ロカンタンは、その選択は自分を「拘束(アンガジェ)する」とまでつぶやくのだ。
 拘束(アンガジュマン)とは、かつて意味ありげな思想の標語として担がれ、すでに擦り切れてしまったが、われわれにも迫ってきたものである。時代の状況の中で自由を追うことを強く後押しすると同時に、また厳しく詰問するかのごとき大げさな語感が刺激的だったが、要は、時々の選択が自己のあり方を決め、同時にそれによって拘束され、社会的責任も負うことになるのだと知れ、ということになる。逆に言えば、そこまで覚悟してやって、はじめて自分で生き方を決め、自己実現したことにもなるというわけである。
 ……などと言っている間に、ロカンタンは、こんどはパッサージュ・ジレではなくデュコトン広場なのだ、と目の色を変えて行ってしまった。さて、どうなるのか。

《デュコトン広場はがらんとしていた。私が間違えたのだろうか? そうだとしたら、とても耐えられそうにない。本当に何も起こらないのだろうか? 私はカフェ・マブリの明かりに近づいてゆく。私は途方に暮れている。そこに入るかどうかも分からない。曇った大きなガラス越しに、私は内部にちらりと目をやる。》

 ロカンタン君、どうした、また間違えたのか。いや、どうもそうではないらしい。途方にくれながらマブリというカフェに入ったようだ。

《カフェは人でいっぱいである。タバコの煙と、湿気を含んだ衣類から発散される水蒸気のために、室内の空気は青く見える。レジ係の女がカウンターにいる。私は彼女をよく知っている。私と同じ赤毛だ。内臓に病気を持っている。腐乱する肉体からときおり発散する菫のような匂いにも似た憂鬱な微笑を浮かべながら、彼女は静かにスカートのなかで腐っていくのだ。私の頭から足先まで、戦慄が走る。私を待っていたもの、それは……彼女なのだ。》

 これぞ驚くべき、傑出したシーンではないか。
 この町のあの場所には必ずや何かがある、と思い込んだ若者がいざその広場に着くが、はじめは何が何だかわからない。カフェの明かりに近づき、途方に暮れつつ中を見る。いっぱいの客と煙と水蒸気、そしてレジ係の女が目に入る。女はよく知っている、内臓の病気持ちだ……などと考えたとたんに「頭から足先まで、戦慄が走」り、「それは……彼女なのだ」と気が付いたというのだ。およそナンセンスともいえそうだが、いやいや、これもまた、ある切実な〈いまここ〉の感受とはいえないだろうか。
 『嘔吐』をカフカの影響を受けているなどという批評もあるが、それこそナンセンスだろう。ここには、社会のシステムの非人間的な不可解や恐怖などとは正反対の、世界が人間的なものであるがゆえの意味の充満と、それらの現出による生々しい衝撃が描かれているのだ。
 眼前の生きた女が、憂鬱な微笑を浮かべながら病躯を腐らせていくという、まさに見えないものまで想像された強烈なイメージとなって「私」に戦慄を与えたのだ。そんな人間の存在、生きて動き、なお衰えと苦悩をかかえたかたちに自分が直面したこと、それこそが今日自分を待っていた「何か」なのだ、とさとるのである。
 「何かが発生しようとしている」と予感し、「私の人生が始まろうとしている」とまで言い切って、思い入れたっぷりに始まった「冒険」が、最後にはこの哀れで不気味な女のイメージに至ったことには、徒労感とともにある達成感さえあり、私は感動させられるのだ。これは他でもない、〈いまここ〉を再び見出すための、自由の冒険なのである。老いた私にも可能であると思わせるような。

《彼女はそこにおり、上半身をカウンターの上に立てたまま、動かず、微笑していた。このカフェの奥の方から何かが、今日の日曜日のばらばらな瞬間に戻って来て、それらを互いに結びつけ、それに一つの意味を与えるのだ。私がこの一日を過ごしたのは、ここへ到達するためだった。額をガラスに押しつけ、深紅のカーテンを背景にして花開いているこの繊細な顔を凝視するためだった。いっさいは停止した。私の生は停止した。この大きなガラス、水のように重たく青いこの空気、水底にある脂肪質の白いこの植物、そして私自身も含め、われわれは不動で充実した一つの全体を形成している。私は幸福だ。》

 〈いまここ〉には彼女がいる、そして、私がその彼女のいる〈いまここ〉に到達したことを確認したことによって、今日の日曜日のさまざまな経験が結びつき「一つの意味」「一つの全体」となって感受されたのだ、と言うのである。「私は幸福だ」とまで。
 だが、一行空けて、ふたたび「苦い悔恨」に取りつかれたなどという「私」が現れるのだ。
 それはこうした意識内の「冒険」のつかみがたさ、また、それが終わったあとの「ひからび」を語っている。同時にまた、われわれが固定したものとしてはつかみえず、つねに過ぎ行くものとして感受するしかない〈いまここ〉のありようを示しているのだといえるだろう。

《ラ・ルドゥート大通りにふたたび出たとき、私には苦い悔恨しか残っていなかった。私は自分に言いきかせた、「この冒険の感情、おそらく私がこれ以上に執着しているものは、この世のなかにないだろう。だがそれは、来たいときにやって来る。そしてたちまち去って行く。それが去ったとき、なんと私はひからびていることか! その感情は、私が人生に失敗したことを示すために、このように皮肉な短い訪問をするのだろうか?」
 私の背後では、町のなかで、まっすぐな広い多くの通りで、街灯の寒々とした光に照らし出されて、素晴らしい一つの社会的な出来事が死に瀕していた。それが日曜日の終わりだった。》

 〈いまここ〉はこうして、つぎつぎに生起し、消え去り、われわれを動かしていくことをやめないのだ。
    そして、「日曜日」という「素晴らしい」〈いまここ〉が今終わったのである。

#サルトル #嘔吐 #いまここ #アンガジュマン