hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(14)──さらに、若者の俗物批判を「ロウリュウ」のように

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 若者ロカンタンは、さらに俗物の大人、ロジェ氏の観察を続けるのだ。

《ロジェ医師はカルヴァドスを飲んだ。その大きな身体が屈みこみ、瞼が重たげに垂れる。私は初めて目のない彼の顔を見た。まるで今日あちこちの店で売っているボール紙のお面のようだ。彼の頰は、ぞっとするようなピンク色をしている……。》

 そこで、私の提案である。

 われわれは人生のベテランとして、ここで一度、サウナでロウリュウを受けるように、この若造のわれわれに対する毒舌を味わってみてはどうか。われらは、すでに十分批判も難詰も受けてきた身であり、誹謗中傷などにびくともしない余裕を持っているはずではないか。
 汗と共に多少なりと老廃物が抜けるだろう。もちろん、過剰な水分の排出は危険である、ご注意召されよ。

 若者は、われわれに宣告を下す。

《とつぜん私には真実が見えた。この男〔ロジェ医師〕は間もなく死ぬだろう。自分でもそのことを知っているに違いない。それを知るには、鏡に顔を映すだけで充分だ。毎日彼は少しずつ、いずれそうなる死体に似ていく。これが彼らの経験というものであり、だからこそ私はたびたび、経験には死の匂いが付きまとっていると考えたのである。これは彼らの最後の砦なのだ。ロジェ医師はきっと経験を信じたいのだろう。とても我慢できない現実に目を覆いたいのだろう。それは自分が独りきりであり、なんの成果も過去もなく、知性はぶくぶくと肥っていくが、肉体は崩壊するという現実だ。そこで彼は、それを埋め合わせるささやかな世迷い言を作り上げ、それにしっかり詰め物をして整えた。彼は考えたのだ、自分は進歩しているぞ、と。しかし彼の思考にはときどき穴があき、頭が空回りする瞬間があるのではないか? それは彼の判断が、もはや若いときのように性急なものではないからだ。本のなかで読むことが、よく理解できなくなっているのではないか? 今では本などからすっかり遠ざかっているからだ。》

 なぜか私は嬉しくなってくるのだ。
 あゝ、お若いの、よくぞそこまで言ってくれた、と。

 たしかにわれわれは間もなく死ぬだろう。そしてもちろん、われわれはそのことをよく知っている。というより、毎日そのことばかり考えているのだ。
 鏡に顔を映す? いやいや、そんな必要さえないのだ。毎日「いずれそうなる死体に似ていく」──その通り、言わぬが花の吉野山である。

 「それが彼らの経験というもの」──ちょっと待った、ロカンタン君。それははたしてわれわれのものだけだろうか。干からびた老年や死に向かって進んでいく「経験」とは、全員のものではなかったか。君の経験もまったく同様に。

 「経験」には死の匂いが付きまとう──さよう、すなわち、「生」自体が「死」臭を含んでいるものだから、と言った方がいい。

 「経験」が「最後の砦」──うーん、そう考えられればいいんだが、なかなか。経験がわれわれを迷わせ、不安に突き落とすことさえ始終あるのだ。

 「自分が独りきりであり、なんの成果も過去もなく、知性はぶくぶくと肥っていくが、肉体は崩壊するという現実だ。そこで彼は、それを埋め合わせるささやかな世迷い言を作り上げ、それにしっかり詰め物をして整えた。」──これは全くその通り。だが、そんなふうに言い当ててもらうと、私はなぜか嬉しくなってしまうのだ。
 なぜだろう?
 私は、「現実」に向かいあっている自分の〈いまここ〉を明らかに理解したいと思っており、それを他人に明確な言葉で看破されることが、何ともぴりぴりとした刺激で、気持ちよいのだ。ただし、……

 「ささやかな世迷い言を作り上げ、それにしっかり詰め物をして整えた。彼は考えたのだ、自分は進歩しているぞ、と。」──ははは、どんな俗物でもそう馬鹿ではない。
 われわれはよく知っているのだ、同時に「自分は退化している」ことを。わざわざ君に言われなくとも、「ささやかな世迷い言」を「詰め物」して使いまわしていることも。
大人というのは、まさに〈知りすぎている者〉なのだ。

《医師は少しばかり頭をめぐらせる。瞼がなかば開き、眠気で充血した目で私を眺める。私は彼に微笑みかける。彼が自分自身に隠そうとつとめているすべてのことを、この微笑で暴いてやれればいいのだが。もしも彼が、「ここに一人いるぞ、おれがくたばろうとしているのを知っている奴が」と考えることができたら、彼も目が醒めるだろうに。しかし彼の瞼はまた閉じる。眠ってしまったのだ。私は出て行こう。彼の眠りはアシル氏に見張ってもらおう。》

 若者は、哀れな大人に引導を渡して去ろうとする。実は大人が、「ここに一人いるぞ、おれがくたばろうとしているのを知っている奴が」と考えることなど、いつでもたやすくできるのだということも知らずに……。

 元気で行けよ、不安と虚しさとにつきまとわれた若き者よ。
 案の定、彼の次の日の日記はただ一行、こうなるのだ。

《水曜日
 恐れてはならない。》

──然り。
〈いまここ〉で、彼は、まさに若々しく強烈な虚無に襲われているのである。

#サルトル #嘔吐 #俗物批判 #大人