hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(19)──ブーヴィル美術館(3) ロカンタンの負け戦

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 断っておくが、私は『嘔吐』という小説をサルトルが後に開陳した思想の説得材料として読もうとしているわけではない。作者としてのサルトルを意識しつつ、むしろ、その哲学的また政治的姿勢──ポーズとは摩擦を生じ、齟齬を来すような小説内部の実相をこそ見たいと思っているのだ。
 ひとことで言えば、私はロカンタンに〈弱さ〉を見ようとしているのである。

 ロカンタンの周囲には堅固な市民社会が広がっている。それは、長い歴史を経て勝ち取られ、また覆され、再び築かれた社会体制と、その中で競い合い、機会を得、蓄財し、躍り出た人々、すなわち権力者や名士たちを擁する社会である。彼らはこの町の現在を作り上げ、その発展に寄与してきたのだ。その市民社会の代表たる面々が、今、孤立と自由を求める若者の眼前に、肖像画となって並んでいるのだ。

《私は何歩か後ろに下がった。そしてこれらすべての偉大な人物たちをひと目で見渡した。パコーム、エベール会長、パロタン兄弟、オーブリ将軍。彼らも以前はシルクハットを被っていたのである。〔略〕彼らは非常に正確に描かれていた。にもかかわらず、彼らの顔は絵筆の下で、人間の顔に特有の不思議な弱さを捨て去っていた。彼らの顔面は、最も精彩を欠いた者でも、陶器のようにつるつるしていた。私はそこに何か木や獣と似かよったもの、大地または水についての思考と類似したものを探し求めたが、無駄だった。たしかに生前の彼らはこのように必然的なものなど持っていなかっただろう、と私は考えた。しかし後世に名を残すにあたって、ちょうど自分たちがブーヴィルの周辺全体に浚渫や掘削や灌漑を行ない、それによって海や畑を改造したように、自分たちの顔にもひそかに同じことをほどこしてくれるよう、著名な画家に依頼したのだ。こうしてルノーダとボルデュラン〔肖像画を描いた画家〕の協力を得た彼らは、〈全自然〉を屈服させた。彼らの外部でも、また彼ら自身の内部でも。これらの暗い画布が私の視線に提供しているものは、人間によって再考された人間であり、その唯一の装飾は、人間の最も美しい征服物、すなわち〈人間と市民の権利〉という花束である。私は何の下心もなく、人間界に感嘆した。》

 「人間と市民の権利」とは、外ならぬフランス革命の人権宣言「人間と市民の権利宣言」Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen が掲げたものである。彼らはそれを疑わず、自分たちの肖像画を自然さを払拭した人工的な完成品として描かせたのであり、彼らの「弱さ」を捨て去った顔は「つるつる」なのだ、とロカンタンは言う。
 「単独者、孤立した人間」l'homme seul たらんとするロカンタンは、名士たちをひとからげに俗物と見なそうとしているのである。あげくは、推理小説仕立てのように予告された、あのブレヴィーニュ代議士の肖像画の違和感とは、彼が身長1m53cmの短躯だったためなのだと、得々と“種明かし”するのだ。

《なんと私を悩ませたことだろう、この肖像画は! ブレヴィーニュは、ときには大きすぎるように見えたし、ときには小さすぎるように見えた。しかし今日の私は、そのわけを承知している。〔略〕一メートル五十三センチ! そうなのだ。ボルデュランは抜かりなく、絶対に彼を小さく見せる恐れのない物でまわりを取り囲んだ。円筒形のクッション・スツール、低い肘掛け椅子、何冊かの十二折り判の本がおかれた棚、ペルシャふうの小さな円卓。ただし彼はブレヴィーニュに、隣のジャン・パロタンと同じ背を与え、しかも二つの肖像画は同じ大きさだった。その結果、一方の絵の小円卓は、他方の絵の巨大なテーブルとほとんど同じくらいの大きさだったし、クッション・スツールは、パロタンの肩のあたりまで達していただろう。この二つの肖像画を見る目は本能的にそれを見比べる。私の居心地悪さはそこから来ていたのだ。/今や私は笑いたくなった。一メートル五十三センチ! もし私がブレヴィーニュに話しかけようと思ったら、身を屈めるか、膝を曲げなければならなかっただろう。私はもう彼があれほど昂然と鼻を上に突きだしていることにも驚かなかった。このくらいの背丈の男の運命は、常に彼らの頭より数インチ上で決定されるからだ。》

 読んでいて情けなくなるのは私だけだろうか。この知識人青年の無邪気な悪意は、彼がそれまで記して来た人間分析や洞察と比べて、なんと貧弱にして愚かしいものか。
 『嘔吐』の翻訳者・鈴木道彦氏は次のように解説している。

《ロカンタンの目に映るブーヴィルの人びとは、無邪気に群れて「存在」から目を逸らせているし、とりわけ社会の指導的なエリートたちは、自分たちが予め確実な存在理由を与えられてこの世界に登場したと固く信じて疑わない。ロカンタンは、愚かにも思い上がったこのような人びとを「下種ども」と呼び、これに痛烈な罵倒を浴びせる。とくにブーヴィルの美術館に展示されている町作りに貢献した名士たちの肖像を見る場面は、その対決を鮮明に示しており、極めて激しいブルジョワ批判、俗物批判となっている。》(鈴木道彦「あとがき」)

 たしかにロカンタンは、指導的なエリートたちの頑迷さを攻撃しているのだ。名士たちは、少なとも外見上は自分たちの「存在理由」を「固く信じて疑わない」ように見えるといってよいだろう。ロカンタンもそう思い込んで、彼らの俗物根性を難ずるのだ。しかし、本当だろうか。名士とは「疑い」を持たなかった人々だ、などと断言できるのか。むしろ、他人を愚かと決めつけ「固く信じて疑わない」のは、ロカンタン自身ではないのか。
 また、はたして、このような理解──「ブルジョワ批判」とするだけで小説としての『嘔吐』の読み取りは完了するのか。そうした概括的な読み、作者までもがそう信じているかに見える方向付けによって、作品本文としてつめ込まれた生々しい言葉の生動は説明しつくせるのだろうか。──否、と私は言いたいのだ。
 まず、注目すべきは、ロカンタンのブルジョワ批判の〈執拗さ〉ではないか。調査のために滞在している地方都市の歴史に、歴史研究者ロカンタンが意識を向けることはしごく当然と見える。しかし、その町の俗物たちに強い反感を抱きながら、わざわざ何度も美術館に足を向け、多数の肖像画を詳しく見て回り、描かれた人物の生涯を把握した上で、彼らの価値を否定せんとして、揶揄的に語り続けるのはいささか異様である。その執念はいったいどこから来るのだろうか。
 鈴木氏は、当時のサルトルの「アナーキズム」といってもよい状態を指摘している。

《後にサルトルは、「『嘔吐』を書いていた当時は、そうと知らずにアナーキストだった」と回想しているが(「七〇歳の自画像」)、これは政治運動としてのアナーキズムの意ではなく、独りきりの孤立した人間が練り上げたラディカルな思想を指している。》(同前)

 なるほど、青年サルトルは苛立ちの最中にあったようだ。だが、「アナーキズム」を、その矯激さとあやうさを見ずにレッテル貼りに用いてしまえば、「ラディカル」の語もまた同様に分類用のインデックスと化すだろう。
 執拗にブルジョワ批判を繰り返すロカンタンは、いったい何を厭い、何を叩こうとしているのか。彼の前に並んだ成功者たちのイメージ、その社会的に位置づけられた居所は、政治、経済、文化など諸々によって成り立つ現実社会の堅固さと価値を象徴している。そしてそれはつねに後続者を必要として招き続けている場なのだ。
 実はそれはロカンタン自身にも強く働きかけてくる場である。現実世界において何らかの価値を実現するためには、社会に関わり、位置づけられていくことが不可欠である。社会の牽引する力、その必要不可欠を強く意識するからこそ、彼はそれに抗おうとしているのではないか。自分もまた「下種(げす)」の一人たらんとする位置にあることを、明敏な彼が知らないはずはない。
 すなわち、ロカンタンは自分をこそ撃とうとしていると私には見えるのである。彼は、切り離せぬものを切り離そうともがいているのではないか。
 最後に彼は、精一杯のみえを切るのだ。

《私はボルデュラン=ルノーダ室を端から端まで横切った。そして振り返った。永久におさらばだ、各自の小さな神殿に精巧に描かれた美しい百合どもよ、おさらばだ、美しい百合ども、われらの誇り、われらの存在理由よ、おさらばだ、下種どもよ。》

 俗物たち、ブルジョワ市民たちとは、つまりは〈自分〉なのである。

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