hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

『嘔吐』を読む(23)──火曜日「無し。存在した」、水曜日(1)独学者との昼食

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 「火曜日」の記載は「無し。存在した。」だけである。

《Rien. Existé.》

 荷風の「昼、浅草。」ではないが、簡潔に置かれた二語が生きている。
 その日は何もなく、なお自分は存在した、というのだ。難しく考える必要もないだろう。キザではあるが、若者にも老人にもよく分かる“ふたこと”である、もし日記などという面倒くさいものをつけるならば。

 そして、続く「水曜日」は、ロカンタンが独学者と昼食を共にする場面となるのだ。

《紙のテーブルクロスの上に、太陽の光が輪を作っている。その輪のなかで一匹の蠅がよろよろと這い回り、温まりながら前脚を互いにこすりあわせている。》

 まるで梶井基次郎「冬の蠅」のようではないか。だが、衰弱した蠅をじっと眺めるだけの「冬の蠅」の「私」とは異なり、『嘔吐』の「私」はここで残酷にも蠅を殺すのだ。

《私はこの蠅へのサーヴィスとして、これを押しつぶしてやろう。蠅はまだ、金色の毛が太陽に輝いているこの巨大な人差し指の出現に気づいていない。
 「殺さないで下さい!」と独学者が叫ぶ。
 蠅は破裂し、白い小さな内臓が腹から飛び出す。私は蠅から存在を厄介払いしたのだ。私は独学者に冷ややかに言う。
 「これがこいつへのサーヴィスですよ」》

 これは何だろう。
 存在を奪われた蠅は、もはや蠅ではない。悪い冗談ではあるが、いかにも存在に脅かされた若者らしい。その傍らで、「殺さないで、ムッシュー!」と独学者は叫ぶのだ。
 独学者に請われて来たレストランでの些細な蛮行。それは、先走りしていえば、来るべき存在との対峙の前哨戦ともいうべき〈独学者との一戦〉の始まりである。小馬鹿にしていたはずの独学者相手に、ロカンタンはなんとここでリングに上るのだ。相手は、ひたすら教養を身につけようと図書館に日参する好人物に過ぎないのである。蔵書のAからZまでを順に読破せんとする変人ではあるが、ロカンタンを本物の教養人とみて、慇懃ながら、しきりに交わりを求めてくる愛すべきおじさんなのだ。

《「いかがですか? ご気分はよろしいですか?」
 独学者は目で笑いながら、私を横目づかいに見る。息を切らした犬のように、口を開けていくぶんはあはあしている。実を言うと、彼に会うというので、今朝の私はほとんど幸福な気分だった。それほど他人と話したかったのである。
 「おいでいただけたとは、なんて幸せなことでしょう」と彼は言う、「もしお寒ければ、暖房のそばに移動しても構いません。あの人たちは、もうすぐ出て行くでしょう。勘定を頼んでいましたからね」
 誰かが私に気を使って、寒くはないかと心配している。私が他人と話をしている。こんなことが起こったのは何年ぶりだろう。》

 これまで独学者の接近にうんざりしてきたはずのロカンタンが、ここでは、人と話す機会となるので「幸福」heureux だったと言い、また「私が他人と話をしている。こんなことが起こったのは何年ぶりだろう」とまで述べているのだ。それはおかしい、事実に反している、これまで何度もロカンタンは独学者と話してきたではないか。ここはどう読むべきだろうか。
 勘違いや錯誤とするのには無理があるだろう。故意に嘘を誇張として述べているとする方がまだありそうだが、それはなぜか。それほど、ロカンタンは孤立を感じ、その飢渇感を大袈裟に表したのだということか。人は日記を自由に書き、誇張や暴論を、それと知りながらぶちまけることも可能なのだ。さらに解釈を加えれば、これはたんにこの場面を言うだけではなく、これまでの独学者との交流を一つながりのものとして見て、そんなことは何年もなかったことだと思っている、と見ることもできるだろう。だがいずれにせよ、どうやらロカンタンはあまりよい精神状態ではない、ということだけはたしかのようである。
 そんな「幸福」をもたらし、自分を気遣ってくれる得難い相手である独学者に対して、ロカンタンはやがて攻撃を始めるのである。独学者はロカンタンを知識人と見て尊重し、その機嫌をそこねないようにビクビクしながら、教養人の世界にわずかでも参入したいと懸命になっているのだ。そんな相手を「息を切らした犬のようにはあはあしている」と揶揄し、同時に「幸福」であり、「何年ぶりか」などと書くロカンタン──さて、これからどうなるのか、とまさに心配になるのは私だけだろうか。
 老人には、こんな一見わけの分からぬ、かつ、よく分かる場面が、しばしばおのれのこととして生じるのだ。そして、何度も繰り返すが、同様の支離滅裂と見えて、かつ、絡み合い、つながり合ったスリリングな心理の分裂的な動きは、若年時に何度も経験してきたことのように思われるのである。
 いったい、独学者 l'Autodidacte の何を、ロカンタンは目の敵にするのだろうか。

#サルトル #嘔吐 #ロカンタン #独学者 #存在