hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

祖国とは

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私事を語れば、30年前降り立ったシカゴオヘアで、窓口の男に大学教師だろうと言われたので、なぜ分かったと訊くと、gloomyだからと看破されて以来、中西部の一点に引きこもったのですが、その間出会った年配の幼稚園経営者が、まこと親身に、帰るのが嫌なら俺のところへ来い、オレゴンで一緒に幼稚園をやろう、と言ってくれたのには驚き、一瞬心も動きました。

そんな話は私のような者には、日本であったためしがなかったからです。

が、それはやはり身と心としての己れを、日本から切り離すことのできないことを痛感させるのみの経験に終わりました。

後年、中国でも似たようなことがあり、大陸に住む人々の心の大にして温なること、また粗なること佳し、と感謝とともに思いもしました。

しかし、所詮、『ゴッドファーザーII』の巻頭で現れる貧民満載の移民船の映像や、ニーノ・ロータの旋律に琴線を動かされるような情弱(情報でない方の)には、到底無理な話だと知ったのです。

福建省少数民族の出で、優遇措置ある遥か遠方の民族大を卒業し、努力して日本留学を果たし、修士号を取り、そこで出会った米人青年とワシントンD.C.へ行って結婚。今も伸び伸びと世界の風に吹かれている女性がいます。
その「菜の花の沖」どころか、大洋の沖へ羽ばたいた教え子のことを思えば、何とも硬く狭い己れの心域に気付きます。

結局、俺にはこの国しか無いのか、と。

        マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや                 寺山修司

否、祖国のみ。我を守り、捨てもするものは。だったわけです。「身捨つるほどの祖国」などと言い放ち得た時代こそ、ありがたい昭和後期だったのでしょう。

が、なお、寺山の絶唱は我が胸に響きます。

死ねばよし、全ては終わらん、と。