hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

2022-01-01から1年間の記事一覧

余波と残影

『海舟余波』で鮮やかに勝海舟の軌跡を描き出した江藤淳が、二十年後に『南洲残影』での悲壮感の歌い上げへと傾いたのはなぜだったのか。 「人の生は循環する自然のなかを帆を張って横切る一艘の船に似ている」というハンナ・アーレントの言から始められる海…

カルチェ・ラタンも、渋谷の街も

カルチェ・ラタンも、「舗道の下は砂浜だ」も、むろん信じはしなかった。 そこは眼前に貧乏学生のたむろする駿河台に過ぎず、パリの舗石の下にも海浜などありはしない、と。池袋のガード傍に「ここがロドスだ、ここで跳べ」と落書があったが、何処がロドスだ…

古代へのまなざし

旧稿より 書評・岡野弘彦著『折口信夫伝――その思想と学問』中央公論新社 「一番末の弟子」であり、折口信夫の晩年に起居を共した著者による伝記である。だが、これは通常の編年体の伝記とは異なり、「行きつもどりつ」しつつ、折口という思想家の大きさを探…

純粋持続とかいうような事

谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」に、「長恨歌」の楊貴妃入浴の連想が数日前から繰り返された挙句、意識の流れの停滞か、と疑った主人公が、ベルグソンの「一体純粋持続とか云うような事は、あれは真理なのか知らん。……」と訝る場面がある。 その解説として、大…

自己像としての過去ー『道草』

《兄は過去の人であった。華美(はなやか)な前途はもう彼の前に横(よこた)わっていなかった。何かに付けて後(うしろ)を振り返りがちな彼と対坐(たいざ)している健三は、自分の進んで行くべき生活の方向から逆に引き戻されるような気がした。「淋(さむ)しいな…

願いと報酬

一流私学とはいっても、地方都市である。近県を含めた地元出身者が多く、親元を離れず、手堅く学び就職してこの地で生活する、という堅実な学生がほとんどだった。トップの国立大に対する対抗心を煽っても大方の手応えは弱く、特段の悔しさも自負も見せない…

藤村『家』ーー時々に視点を移して…

photo by mikaruma 新聞販売店のチラシが入っていた。夕刊配達3時から1時間で月給3万円〜(時給1,200円位か)、事務スタッフ10時から2時間、時給1,000円(簡単なパソコン操作)、休日は日祝年末年始という。部数減が止まらず、販売店も大変なのだろう。そこで働…

結句サッパリしたくらいに思って……

谷崎潤一郎はこう書いている。 《東京の下町には、所謂(いわゆる)「敗残の江戸っ児」と云う型に当てはまる老人がしばしばある。私の父親なぞもその典型的な一人であったが、正直で、潔癖で、億劫がり屋で、名利に淡く、人みしりが強く、お世辞を云うことが大…

旧稿より

表現と読解の価値についてあらためて考えてみたい。そのための手がかりとしたいのはカフカとトルストイの作品と論述である。 《第一の説。オドラデクという言葉はスラブ語が起源で、それは語形からも明らかだとされている。第二の説。ドイツ語こそが起源であ…