hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

あゝ、我が敬愛するトルストイ翁! ―思想と実生活論争―

「廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わった時、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるための旅に上ったという表面的事実を、日本の文壇人はそのまゝに信じて、甘ったれた感動を起したりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おど/\と家を抜け出て、孤往独邁の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲壮でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けて見る如くである。あゝ、我が敬愛するトルストイ翁!」(正宗白鳥トルストイについて」ー『読売新聞』昭和11/1/11-12)

 1936昭和11年正宗白鳥小林秀雄の間で「思想と実生活」論争が起こる。トルストイが死んだのは1910明治43年だが、1935昭和10年12月になって『トルストイ未発表日記・一九一〇』(ナウカ社)が翻訳出版されたのである。白鳥は、それを読んで『読売新聞』にこのように書いたのだ。
 これに対して、さっそく小林が反論した。

「あゝ、我が敬愛するトルストイ翁! 貴方は果して山の神なんかを怖れたか。僕は信じない。彼は確かに怖れた、日記を読んでみよ。そんな言葉を僕は信じないのである。彼の心が、「人生に対する抽象的煩悶」で燃えていなかったならば、恐らく彼は山の神を怖れる要もなかったであらう。正宗白鳥氏なら、見事に山の神の横面をはり倒したかも知れないのだ。ドストエフスキイ、貴様が癲癇で泡を噴いているざまはなんだ。あゝ、実に人生の実相、鏡に掛けて見るが如くであるか。」(小林秀雄「作家の顔」ー『読売新聞』昭和11/1/24-25)

 これが論争の発端である。そしてすでに、この発端で両者の主張は尽きているといってよい。正宗白鳥は、トルストイが「人生に対する抽象的煩悶」によって家出をしたという見方を「表面的事実」として片づけ、その奥に事の「真相」としての「実生活」を見ようとする。対する小林は、それを白鳥の「永年リアリズム文学によって鍛えられた」、「抜き難いものの見方」(小林秀雄「文学者の思想と実生活」ー『改造』昭和11/6)である、として反撥するのである。

「あらゆる思想は実生活から生れる。併し生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか。大作家が現実の私生活に於いて死に、仮構された作家の顔に於いて更生するのはその時だ。」(小林秀雄、同前)

 こうして並べてみると、たしかに白鳥は「実生活」に力点をおき、小林は「思想」に力点をおいて反論していると見える。それでは、小林は白鳥の見る「実生活」を乗り越えることができたのか。白鳥は、みずからドストエフスキーになり代わるようにして語る。

「現実は恐ろしい。牙歯を立てた猛獣のように恐ろしいから、逃出そうとしたが、しかし、逃げて行こうとする所へは、理想主義という薄気味悪いいやな奴が突立っている。人生の上のあらゆる恐怖でも、理性や良識によつて考え出された観念ほどには恐ろしくないので、引返して現実にぶつかって行くことにした。真実を云った方がいい。「おれが毎日、コーヒー代に事を欠かねば、文壇なんかどうなったっていい」。(正宗白鳥「『悲劇の哲学』解説」ー『新潮』昭和9/4)

 これが白鳥の立場である。そこではドストエフスキーの『地下室の手記』中の衝撃的な文句「世界が破滅しようと、私がいつも茶を飲めればそれでいい」がもじられ、「世界」は「文壇」へと矮小化されてしまう。では一体、白鳥は何を「恐怖」するのか。「現実」か「観念」か――実は、白鳥にとってはどちらも「嫌悪」の対象であり、また同時に、つきない「興味」の対象でもあったのだ。白鳥は自分の「厭世」が「銀座に放たれた猛獣」のように生きる場面をながめたいのである。後年、小林が見事に言い当てたように(白鳥との対談「大作家論」ー『光』昭和23/11)、白鳥は何より実生活の「殺生石のようなにおい」をかぐことを願っていたのだ、といえるだろう。
 したたかな〈不信者〉白鳥の「人生つまらん主義」は、強靱な「平常心」に支えられている。小林が言うように、白鳥にとって「実生活」とは「一つの言葉」であり「一つの思想」であった(白鳥との対談「大作家論」)のであり、そこには倒立させられた「理想主義」のにおいすらあるのだ。こうした白鳥から見れば、小林の発言も「生活」と「思想」の断層を何とか説明してしまおうとする「観念的な」立場と見えたにちがいないのである。
 〈見る人〉白鳥は何も説明しない、ただ驚くだけである。「滑稽」かつ「悲惨」な人生を前にして、いきいきとしたため息を吐くだけだ。そのたしかな平常心からすれば、シェストフのいう「信念更生」も小林の説く「思想」も所詮は「抹香くさい」ものであり、また青臭いものと見えてくるわけだ。白鳥の裡には、「芸術も思想も絵空ごとだ、人は生れて苦しんで死ぬだけの事だ」という根深い思念がある。
 小林は苛立ち、抗弁しようとする。そこには「文学蔑視」、「思想蔑視」の本音をかくした既成文壇人への反撥もあった。「文学者の思想と実生活」では、「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある」と力説する。いわば、小林はここで思想の〈現実性〉に眼を向けようとしているのである。「人間とは何物でもない、作品がすべてだ」(「作家の顔」)、「思想は死すら架空事とする力を持っている」(「文学者の思想と実生活」)――小林は、日常に甘んじまいとし、また、ニヒリズムの仮面をかぶったロマンチシズムに酔うまいとしているのだ。しかし、小林にとっても、むろん「生活」は重いのである。

「人間はすべて夢だけを信じて生きているのである。人間に信ずる事が出来るのは夢だけだからだ。実生活は信じなくても在るからだ。何んと言おうが僕等に付纏い、追いかけるものだからだ。」(小林秀雄「文学者の思想と実生活」)

 考えてみれば、「実生活にとって芸術とは屁の様なものだ」(「批評家失格Ⅰ」)と記した小林にとっても、〈文学懐疑〉は根強いモチーフであった。小林はむしろここで、自己の中にもある「生活」という難問(アポリア)に対して闘いをいどんだのだというべきだろう。
 それでは今、こうした古臭い難問(アポリア)は、我々の前にどのような顔を見せているのだろうか。