hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

「バイヤー、バイヤー」

不自然な笑顔、ひきつったような無理な笑いなどと言うが、その張りつめた和やかさ、反射神経によるかと思わせるほどの素早い反応に、私の心ははっと動かされる。たとえそれが店員であろうと、同僚であろうと、あるいはまた家族の誰かのジェスチャーであろうと、スクリーン上の原節子の笑みの如く。

元同僚から、唐突に三十年も前の発言をなじられ、一瞬驚いたが、むしろ嬉しくなりまた有難くもなった。何故か。退職後の寂寞の中で、かつての自分がそれほど気にされていたのか、といういくばくかの自負と、かつ又、自分もそうした諸々の砕け散った断片として、辛うじて人々の記憶のどこかに暫しはながらえうるのか、という思いが湧いたのだ。

三十年振りに或る喫茶店に入ってみた。店内はそのまま変わらずと見えたが、記憶が定かではなく、こちらこそが変わってしまったのだと痛感。それでも、磨き込まれた床板の美しい輝きが目に沁みたひと時だった。

突然、特急の車内に「バイヤー、バイヤー」と澄んだインド人らしい少年の声が響き、続いて兄と両親が乗り込んできた。その声を聞いて、三年前に観た映画『ライオン~25年目のただいま』Lion 2016 を思い出した。それは実話と聞いて胸に迫る話で、カルカッタの雑踏を彷徨う少年の眼が印象的だった。

その眼はまた、サタジット・レイ『大地の歌』Pather Panchali 1955 の少年オプーの、モノクロ画面の草木や雨や蛇に向けて、見開かれた眼と息遣いとを私の裡に蘇らせた。依然車内では少年たちの楽しげな声が響き、いつか窓外には、雨後の緑が広がっていた。

世界は美しい。


因循の梅雨の姑息にミストラル
いざ生きざらめやも君もまた     茶半