hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

ハムレット・オン・ザ・ストリート

「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」は、1000年以上前に投稿されたtwitterである。

誰にも理解されぬだろうとの思い自体を書き記し、何者かへと向けて発信することのむずがゆいような自覚と、それが密やかな共感を広げていく動きは遅速の差を越えて相通じている。

「今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや」もまた、〈いまここ〉を詠っている。しかし、それは今ここでしかない世界という意識自体を、かたちとして提示することで今ここを離れ、をちこちに散じ、また彼方へと飛翔する声と変じているのだ。無論それ自体がなおも、今ここへの lock on なのである。

矢立代りにスマホを携行し、時に応じて取り出しては寸感を綴り、写像を撮り、記録せんと tweet ボタンを押す。否、記すのみではなく、空の彼方の半透明のポケットに詰め込んで、見知らぬ誰かがその数行を目にし、また呟くことまでも期す。そんな一滴のアブサンが〈いまここ〉を鮮やかに意識させるのだ。

ただ日記を付けるよりは、見た目を気にする。言葉を選び、読み直し、どう読まれるかと気にしながらキーに触れる。字数制限もある、もどかしさもある。しかしまた、そうした特殊な場に言葉を "込める" ことには、ある喜びもあるのだ。何かを少しずつ準備しているかのような……。

何かを。

交差点で信号を待ちながら、呟いている男がいる。携帯で話しているわけでもない。中には、辺りを気にして抑制しつつも息巻いているような人もいる。粗暴かつ繊細な怒り。誰も聞いていない、知らんぷりで避けていく。それこそ、モノローグなのだ。

老いたるハムレット・オン・ザ・ストリートよ!