hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

深秋の候

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  少しずつだが長年ため込んだものの整理をしている。
  書類等で脹らんだごみ袋を毎回出している。不燃ごみもとうとう大袋一杯になった。月一度の収集日はすでに過ぎているので、しかたなく自分で出しに行くことに。
  まず環境事務所で受付をして、遠距離の処分場まで持参するというシステムである。
  車で区の環境事務所に着いたのが2時20分過ぎ、二階の事務室に上がると、平日の受付は2時10分まで、といわれてがっかり。処分場は3時40分で一般受付終了とのこと。何とか間に合うから、と頼んでも、無理という。せめて今日受付けだけでもしてくれないか、明日自分で直接処分場へ持って行くので、と聞いても、できないので明日また、という答え。その日に受付けた分だけをFAXで処分場に送り遠隔受付としているのである。
  「それでは中身の確認だけでも、今お願いします」と最後に頼み込んだので、小柄な年配の職員がしぶしぶ一緒に駐車場まで下りて来た。職員氏は、大きなごみ袋を前に、手引き書類を見ながら確認。小型家電は受け取るので別にせよ、と充電器や各種の部品等を分別。さらにコード類まで、あれもこれもと引っ張り出される。
  その後、職員氏は分別した家電品の袋を持って行こうとしたので、私が「じゃあ残りは明日また」と残った大袋に手をかけると、彼は「来月の不燃ごみ収集日に出したら」とあらためて聞く。「来月も都合がつかないんで、何とか年内に」と私が答えると、職員氏は「じゃあ、いいです」と低い声でつぶやく。
  そして、何と彼は全部引き取ってくれたのである。ここから出るごみ収集車に載せてやるというのだ。たぶん面倒くさいと思ったのかもしれない。が、明日は明日で他のお客の受付があるはずである。ひょっとして彼は、コロナ禍で予定が立て難くて困る等と愚痴をいった老人を、助けてやろうと思ったのではないか。
  これではまるでゴーゴリの一幕に光が差し込んだかのようではないか。市民のエゴと役人の杓子定規、勝手な事情をあれこれ並べての懇願と、表情一つ変えずに相手を理解する早わざ。仏頂面で気難しく見える相手に、意外な温情をかけられた驚きとよろこび、そして羞恥。
  思わぬ人からの親切が身に沁みた秋の午後、お陰でだいぶ片付いた部屋を見て、心も落ち着きどころを得たかのようであった。