hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

道草』を読む(2) ──批判する〈語り手〉

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    『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。

《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。》一

    ここで、なるほどこの男は「遠い国」を経てさらに進もうとしているのか、と納得して先に行こうとした読み手は、その後に続く次の文に出会い、はっとさせられるだろう。

《そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。》

    それは、それまで健三自身に寄りそった姿勢で感慨をもらしていると見えた語りが、ここで豹変したかのように感じるからである。
    そこには、「一種の淋し味さへ感じた」とか「それを忌んだ」といった、主人公の思いを直接伝える部分との明らかなずれがある。「しかし」でなく「そうして」という接続詞の使用も、よく見れば何やら意味ありげである。いうならば、「遠い所」から帰って来た男の感慨に寄りそって以下の物語に向かおうとする読みの始動に、一瞬水が差されるのである。
 この驚きは重要だろう。読者はここに何者かがいること、すなわち〈語り手〉の介在に気づかされるのである。ただ主人公に一体化したかのようにして進む語りとは異なり、これは主人公に寄りそいつつも、一方で、同時に主人公から離れてその実相を見すえる視線をもそなえたものであり、それをいかにもくっきりと提示していくことがこの〈語り手〉の行き方であるらしいという予感が、瞬時にある新鮮さとなって立ちあらわれてくるのだ。
 もし、小説の冒頭が「健三は自身の誇りと満足には気が付かぬ男だった」などと始められていたのであれば、印象は全く異なっただろう。それは〈語り手〉と主人公とのへだたりを既定の固定されたものとし、以後の語りの方向を容易に想像できるものと思わせるからである。
 主人公との共感的一体化と批判的な対象化、この相反すると見える二つの方向がいかに破綻なく保持されていくのか。ここで〈語り手〉の姿勢はいかにも新鮮に見えはじめるのだ。
それは充分に、読者をひきつける語り出しといってよいだろう。

#漱石 #道草 #語り手

『道草』を読む(1) ──待たされる読み

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    漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っている。すなわち、我々はそこで、漱石その人の声をじかに聴きたくなるのだ。
    だが、『道草』は一人称で書かれてはいない。なおかつ、『道草』は自伝的小説といわれるごとく、我々の意識を不断に書き手の方へと誘引してやまない作品なのである。
    では、三人称で書かれた『道草』は、読み手の耳目にどのように応じようとするのか。我々はそこで十分に招かれ、同時にまた拒まれるだろう。少なくとも、焦れるほど〈待たされる〉のである。

《健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。》一

    『道草』の冒頭である。
    もしこれが、次のように一人称で書かれていたらどうか。

《私が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。私は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。》

    一目瞭然、それは自伝あるいは私小説と受け取られる仕立てとなるだろう。だが、『道草』はそうなってはいない。そこには、『道草』連載前の随筆「硝子戸の中」の一文「私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年振りになるだろう。」(二十三)に直結する感慨があり、同時にまた、己の情動から分離せんとする姿勢までもが詰め込まれているのだ。

《健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。》

という言いまわしは、よく見れば不自然な発話である。そこに語られた感慨は、そのままでは三人称に不整合なのだ。

《遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう、と健三は思った。》

などと比べれば、その不自然さは明らかだろう。
    しかし、それはすでに『道草』という小説の語りの基調となっており、その感慨と思考の表出のはがゆいまでのこだわりをも予感させているのである。

#漱石 #道草 #一人称 #三人称 #自伝的小説

「君たちはどう生きるか」

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「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃げてきたのでしょう。宮崎駿も執着しているらしき、吉野源三郎君たちはどう生きるか」の、色付けを排したニュートラルな人間平等の「世界」への憧れが、未だに身の内にある気がします。

それは、人間は皆平等であり、まっとうに嘘をつかず、人を差別せず、互いに理解し合って生きていけば、きっと世の中は良くなっていくはずだ、といった倫理観を少年の心に植え付けていったのだと感じています。美しい見果てぬ夢のように。

老人となった今も、それは無為の釈明と諦観となって、夕照のように遥かに疼いているかのようです。

   いかに生くべきか問いつつ終(つひ)の道   茶半

#国民 #市民 #団塊 #戦後民主主義 #吉野源三郎 #宮崎駿

『嘔吐』を読む(35)──一時間後(3) 対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか

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 ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。

《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に浮かぶ。私はいくつもの海を渡り、いくつもの町を後にした。さまざまな川を遡り、さまざまな森に分け入った。そして常に別な町へと進んで行った。何人もの女たちをものにし、何人もの男たちと殴り合った。そして一度も後戻りすることができなかったが、それはレコードが逆回転できないのと同じことだ。そうしたすべてのことが、私をどこへ連れて来たのか?》(五時半)

 異国での「冒険」という“陶酔の時”を過ぎ、女との仲も途絶え、地方都市での引きこもり三年で、伝記執筆の意欲も消え、生きる指針を見失うのである。

《私の全生涯は背後にある。それがそっくり見える。その形や、私をここまで引っ張って来たゆるやかな動きが目に映る。これについて言うべきことはほとんどない。私の負けだった、そのひと言に尽きている。三年前、私は粛々とブーヴィルに乗りこんできた。そのときは、すでに一回戦に敗れていたのだ。しかし二回戦を試みようと思い、ふたたび負けた。つまり勝負に敗れたのだ。同時に私は、人が常に敗れるものであることを知ったのである。勝つと思っているのは〈下種ども〉だけだ。》(火曜日)

 ロカンタンは町をさまようが、その冷ややかでごつごつとした認識が街路や人間に触れて軋み、ともすれば辛辣な評言が俗世に牙を剥くのだ。

《私は店のなかを見回す。なんという茶番だろう! この連中はみな真面目な顔をして座って食べている。いや、食べているのではない。彼らは自分に課せられた仕事を立派に遂行するために、体力を回復しているのだ。各人がささやかな個人的こだわりを持っており、それに妨げられて、自分が存在していることに気づかない。自分が誰かのために、または何かのために不可欠である、と思っていない者は一人もいない。》(水曜日)

 まさに観念的な人間理解、狭量な現実認識である。それは、若者らしい苛立ちに満ちた裁断であり、突き刺さるような視線を四方に放っているのだ。
 我々は、自分の周囲にもそんな目した連中が行き来していることを知っている。だが、鋭い裁断は決して若者だけの特技ではない。大人の懐中にも鞘に収められた刀剣はあるのだ。特に老人には、との自覚も湧く。老若どちらも第一線には立たず、隔たりをもって世間を評し得るのである。そこには無責任な狭量はもとより、透徹から慧眼までもが見分けがたく混在しているのだ。
 若年時の自分を振り返ってみれば、確かに、ことごとくに対して懐疑的であり、かつ、現世のただ中で所を得んと懸命に紅塵を吸ってもいたのである。唾棄すべきは俗界であるが、それが唯一生きる場と痛感し、俗人を厭いつつ、その一員たる己を嗤うという、皮肉で滑稽極まる状態であった。テンポやしぐさは異なれど、皮肉、滑稽においては老人もまた然りである。老若ともに無様にして珍妙、かつ実際は、ほとんどがただ無難に生息するのみの一個人なのだ。むろん、壮年中年もまた然りといえようが、こと無様さ珍妙さにおいては、我らこそ、と胸を張りたいのである。
 そんな自他の振り返りから推して、サルトルムルソーに付した「不条理のサンチョ・パンサ」のタグは、むしろロカンタンにこそふさわしいのでは、と書いたのである(連載(2))。
 ムルソーはサンチョではなくば、「裏返しのドン・キホーテ」とでもいうべきか。わざわざコリン・ウィルソンの言挙げなど待つまでもなく、作中ですでに「アウトサイダー」として衆目を集め、指弾されているのである。理由なき殺人とは、まさに凍りつくような反社会的行為なのだ。
 それに対して、ロカンタンには「不条理」との徹底的な対峙はなく、ただ「存在」に圧迫され、吐き気を催したというだけである。存在には意味もなく、条理・不条理など分別不要である。そこから来るのは、せいぜい風通しのよい恐怖にとどまるのだ。
 私はまた前に、ロカンタンは〈弱者〉であると述べた。自己保存を意識するからこそ己の〈弱さ〉が問題となるのだ。もし、すべては無意味だとすれば、強者も弱者もなくなるはずである。いわば、それがムルソーの目に映じた世界なのである。
 まさに、ムルソーは劇的世界の中心に立っているのだ。
 ただし、ムルソーアロンソ・キハーノとは異なり書物に拠らず、物語、神話、宗教などといった観念の錯綜――文化を必要としない。いわばモノクロの陰画と化したドン・キホーテであり、教養も、憑依も、過去も、そして何よりサンチョも持たぬ若輩のアンチヒーローなのである。よく見れば、母や養老院の老人たち、そして隣室のサラマノ老人にまで向けられた十分に人間的な眼差しがあるだけに、却ってその冷静さが観客の目を引き、疑念とともにヒロイックな期待さえ引き出すのだ。
 対するにロカンタンは、そのままではとうてい劇的世界のヒーロー足りえない。アシル氏や独学者への無理解も無様で、ぎごちないままに立ち消えとなり、自身もレコード盤の前で委縮してしまうのだ。前回述べたように、旧弊なるヒューマニストの独学者こそがバルビュスのその後とも重なり、ドン・キホーテの気高い愚かさを継ぐ者となったかもしれないのである。
 若者も老人も、自由反俗の士たらんとして、勇猛なる愚者ドン・キホーテに一抹の共感を抱くかと思いきや、賢明なるロカンタンはさにあらず。少なくとも決して同じ轍は踏むまいとする者である。一方のムルソーは、まったく愚かしくも無意味な暴挙によって、不条理な〈死〉へと突進していく。同じく「不条理」を見据えたといいながら、両者の方向は全くそれているのである。
 私はこれまで、ロカンタン(「私」)を若者と呼んできた。それは、彼が三十歳で、どうやら家庭も定職も持たず、自由に世界旅行や歴史研究を続け、依然として落ち着いていないと見なし得るからである。訳者の鈴木道彦氏も「三十歳の独身青年」(「あとがき」)としているのだが、はたしてどうか。ロカンタンは青年から壮年への移行期というべきだろう。むろん、社会的には一人前の大人と見られる男である。また、老年の私から見れば若造なのでである。
 漱石でいえば、『それから』の永井代助と『明暗』の津田由雄の二人がともに同じく三十歳だが、少なくとも津田由雄を青年と呼ぶには無理がある。まだ若い会社員ではあるが、結婚もし、考え方や生活ぶりも既に俗中の人である。それに対して、永井代助の方は、いまだに親がかりで生活し、定職を持たず、芸術鑑賞や遊興に日を送り、ついには恋愛事件を起こすなど、而立に至らぬ不安定な若者と見ることもできる。鈴木氏がロカンタンを呼んだ「高等遊民」とは、既に代助に対して作中で用いられたレッテルなのである(『彼岸過迄』で「高等遊民」、『それから』では「遊民」)。
 五十歳近くの小役人ジェーヴシキン(『貧しき人々』)や、四十歳の退職官吏の「私」(『地下室の手記』)などと比べれば、ロカンタンはまだまだ青年と見えるだろう。ただし、『地下室の手記』の「私」は同様に金利生活者であり、ともに引きこもりの孤独者という共通点が目につく。
 そんなロカンタンの前にあらわれた独学者とは、まさに孤独で不幸な中年男(第一次大戦従軍)であったのだ。ひょっとしたら、そのうらぶれた姿は独身者ロカンタンの未来像であったのかもしれない。すなわち、自惚れのかったロカンタンの姿勢も、いつまでもつか分からないのである。
 さらにはまた、ロカンタンが〈存在〉を強烈に意識するに至ったのはなぜか。それは、彼の拠り所である反俗、反社会が、物の存在の次元においては無化されるをことにを脅威に感じたからではないだろうか。反ブルジョア、反市民社会はいわばこの青年の基本姿勢である。だが、考えてみればそれは決して分明な指標ではない。金利生活者のインテリ青年の唱える反ブルジョアの旗幟は、親がかりの学生たちのスローガン同様決して鮮明とはいえないのだ。
 あらゆるものを〈存在〉として意識するということは、〈人間〉が特別なものと見えなくなり、ひとしなみに〈存在〉という問題に還元されてしまうことになりかねない。ロカンタンがつねに目を向けてきたのは人間であり、彼は海辺に憩う人々に感動さえしながら、また一方で、美術館に飾られた名士たちの肖像を唾棄していたのだ。名士や成功者をブルジョワと決めつけ排撃しようとするのは、それは、自分が彼らと人間としてつながることに対して冷静でいられないためではなかったか。
 ロカンタンは、行きつけの店の主人の生死を気にし、哀れな中年男の心理を理解しさえするが、あくまでも自分をアシル氏や独学者とは別物とみなして譲らない。そのいかにも若者らしい頑なな姿勢が無意識のうちに彼を追い詰めていったのではないか、と思えるのである。己の見下すブルジョアたちの市民社会において、自己の優位性、先見性は決して自明とはいえぬことを知り、「下種ども」などと口走る青年の苛立った不安定な意識が、自他の差異を無化するかのごとき〈モノ〉の存在に圧迫を感じたのではないか、と。
 すなわち、実は、問題は対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか。小説『嘔吐』の眼目は、大仰な身振りで語られた〈存在〉恐怖などより、ブルジョア批判やヒューマニズム批判であり、どのように現世の〈人間〉に向かうかの方にあるのではないか、と思うのである。
 ロカンタンが目の敵にしたのはいわば人間礼賛のヒューマニズムなのだという。しかし、その現場はどうか、人間そのものを目前にした青年の心は。

《目の前でヘマをしたアシル氏の挙動を、冷たく観察し続ける若者。共感も関心もないのなら、目を逸らして、女からの手紙でもバルザックでも読み続ければよいのに、彼はこの哀れなおじさんを認識の餌食にし続けるのだ。なぜだろうか。〔略〕
 寂しいセリバテール同士が食堂の片隅で出遇い、片方は話しかけたくてむずむずしているというのに──。》(『嘔吐』を読む(12))

と、私は書いた。
 またしても自身を振り返れば、若年時にもっともやっかいに思ったのは〈社会〉であり、その構成要素である〈人間〉であった。それに対して、どのような姿勢で向かうのか、そして、位置を定めるべくどうもぐり込むのかが、まさに切実かつ嫌悪すべき課題であったのだ。
 そして、老年となった今も、はたしてこの社会はどうなっているのか、その中の人間とは何か、との疑問は尽きないのだ。そして、それゆえにこそ、ともすれば私は、現代小説の中にまで、あの愛すべき愚かな老人と従者を探し出そう、などという〈かたむき〉を持っているのだろう。
 ではなぜロカンタンはハムレット足りえないのか。そのつきせぬ逡巡、迷いは、破滅へと向かうのではなく、かろうじて、あるいは、軽々と、彼を〈いまここ〉の生にとどめていると見えるからである。
 そう、我々のごとく。
〈祭りの後〉の本家たる我々老骨には、アウトサイダーもインサイダーも所詮現世上の違いに過ぎないと見えるのだ。
 そこまで考えて、私はやっとあらためて『嘔吐』を読むことができた、と思えたのである。

《「あの日だった、あの時だった、すべてが始まったのは」と。そして私は──過去において、ただ過去においてのみ──自分を受け入れることができるだろう。
 夜が落ちてくる。プランタニア・ホテルの二階では、二つの窓に明かりが点されたところだ。新駅の工事現場は、湿った材木の匂いを強烈に放っている。明日のブーヴィルは雨だろう。》(『嘔吐』末尾)

 ちょっと待てロカンタン君、君にはまだ「過去においてのみ」などと言い放つ資格はない。「夜」と「新駅工事の材木の匂い」そして「明日の雨」、それらが、何より君自身の〈いまここ〉を示しているのだ。

――人生の謎とは一体何であろうか。それは次第に難しいものとなる、歳をとればとる程複雑なものとして感じられて来る、そしていよいよ裸な生き生きとしたものに、なって来る。(サント・ブーヴ『我が毒』Mes Poisons 小林秀雄訳)

#サルトル #嘔吐 #カミュ #異邦人 #ヒューマニズム #老人 #祭りの後 #サントブーヴ

『嘔吐』を読む(34)──一時間後(2)はたして「アウトサイダー」なのか

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《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。
 往来する人でいっぱいの街路、まかせきったように軽やかに揺れうごくドレス、スカートがまくれる。まくれながら、しかもまくれないドレスまたドレス。
 店先の細長い鏡に、私は近づく自分の顔を見る。蒼ざめて、瞳が重たるい。私がほしいのは一人の女ではない。すべての女がほしいのだ。私は、一人また一人と、自分の周囲にそれを求める。……》福田恆存・中村保男訳(一部改変)

 ベストセラーとなった『アウトサイダー』1956 の冒頭で、コリン・ウィルソンが掲げたアンリ・バルビュス『地獄』Ⅵの一節である。英訳を介したので軽やかになった分、巻頭にふさわしくも見えるだろう。
 ウィルソンは、『地獄』L'Enfer 1908 と『嘔吐』La Nausée 1938 を「アウトサイダー」を描いた小説として並べているのだ。ウィルソンによれば、いずれの「私」も一般の人間とは全く異なった、自己の内部と社会の実相を見すえる目を持つ反社会的存在なのだ、というのである。だが、はたしてどうか。
 「アウトサイダー」とは「事物を見とおすことのできる孤独者」であり、「病におかされていることを自覚しない文明にあって、自分が病人であることを承知しているただ一人の人間」と、H・G・ウェルズの言も引いてウィルソンは主張する。
 なるほど面白い。カミュの『異邦人』L'Étranger 1942 に触発されたのだろうが「アウトサイダー」と銘打ち、多様な先人の書物と思索を繋ぎ合わせ、強靭な反社会的存在のイメージを形象化して語り上げたのはみごとである。
 しかし、あらためて見れば、『地獄』と『嘔吐』の両作には、三十年のへだたり以上のへだたりがあるのだ。
 むろん共通点は歴然としている。共に都市に仮寓する独身者で三十歳。通常ならば過去より未来に向かい、願望や欲望にまみれているはずの若者である。だが、彼らはホテルや下宿屋住まいの中で、街路や食堂での見聞、部屋での行為──ロカンタンは女の手紙を読み、ロルボン伝を書き、『地獄』の男は壁の穴から隣室を覗き続ける──、そして人間と世界をめぐる思索によって、深刻な懐疑や悲観、絶望にまで陥っていくのだ。
 ウィルソンは、「バルビュスの描く「アウトサイダー」は、「アウトサイダー」の特徴を全部そなえている」と述べている。たしかに、『地獄』には、一般の人間には見えない世の中の実相を見ているという鋭く研ぎすまされた感覚が持続している。それは、市民社会のただ中にあって自分は全く異なる経験をし、あからさまな現実に直面しているのだという思いである。その思いの強さが、何より『地獄』をすぐれた小説としているのだ。
バルビュスは、ウィルソンも言うように、キェルケゴールも意識せず、哲学的な思索にもふけっていない。それがより切実さを増し、都市生活者の孤独が、『マルテの手記』にも通じるすぐれた語りとなって迫ってくる。隣室を覗くという煽情的な設定にもかかわらず、生きようとしてもがく人間の営みの絶望的な感受が、読者を強く動かすのである。
 それにくらべれば、『嘔吐』は小説としてはかなり見劣りがするだろう。すでに遠国で「冒険」をし尽くしたのだと嘯くロカンタンは、あれよあれよという間に意気消沈し、唐突に歴史研究を投げ出し、唯一人近寄ってきた独学者も友となし得ず、執拗にブルジョワ批判を繰り返しながら不労所得での生活を続け、女に捨てられた衝撃のみならず、身の周りを埋める物にさえ身を竦ませてしまうのだ。それこそ常人離れした観念過剰者としては異様でもあろうが、その「病者」の意識にはエリート臭がまじり、あくまでも現世のヒエラルキーに位置をしめた存在とも見えてくるのだ。マルテ、『地獄』の「私」、ムルソーにくらべれば、ロカンタンは観念の厚着をまとっているのである。
 さらに見れば、バルビュスは、ロカンタンが唾棄した独学者とも重なってくる。両者とも、世の実相に揺り動かされた繊細な感受性が強烈な従軍体験によって覆され、ヒューマニズムにめざめたという。目を輝かせて人間を語る様は、図書館の変人と反戦思想家をクラルテで結ぶのである。ニヒルなロカンタンは、その横を侮蔑を浮かべ颯爽と過ぎていく……はずだったのだが、終盤で同情に駆られて独学者を探し回り、しかも一時間後にはケロッとして食堂の女に別れを告げに行く等々、甚だ興ざめな有様なのだ
 しかし、さらに興ざめなのは、あげくの果てに思い浮かべるその作家志望である。

《なかなか決心がつかない。せめて才能があると確信できれば……。しかし、これまでただの一度も──ただの一度も、私はこの種のものを書いたことがない。歴史にかんする論文なら書いた──それもたかが知れている。しかし一冊の本。一篇の小説だ。》

 これは何ともありきたりな終わり方ではないか。この若者はさんざん迷い、己を疑い、女を失い、友も得ず、存在に怯え、街路を彷徨い、ジャズに心動かされ(音楽に癒される者を小馬鹿にしながらも)、「私も試みることができないだろうか」等と呟き、では小説でも書くか、と思い立つに至ったというのだ。我らが近代にも谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」、太宰治「思い出」、中野重治『歌の別れ』等々、いくらでも転がっている“青年の出発”である。
 それが凡庸な予定調和とも見えて、私は思わず、「よかったね、坊っちゃん」とでもいいたくなるのだ。せめて、我らが『坊っちやん』のごとく、「清の墓は小日向の養源寺にある。」と、文字通り〈その後〉を断ち切っていたらまだしも、などと。
 かく見てみれば、作品の訴える力(トルストイ曰く感染力)としては、『地獄』さらには『異邦人』の方が、はるかにまさるといえるだろう。何より、『マルテ』も『地獄』も『異邦人』もその中心には〈死〉が据えられているのだ。
『嘔吐』には、命がけの切迫が不足している。ドストエフスキー以来、我々が病的にまで求めるあの深淵らしきものが、一向に見えてこないのである。『失われた時を求めて』のとめどもない流れには、かろうじて通じるのだとしても。
 かくして、私には、ロカンタンは、仰々しく「異邦人」や「アウトサイダー」などと呼ぶまでもない、そこそこ善良と見えるインテリ市民、大学でも、町でも、我々の前を行き交う若者と見えるのだ。市民社会を侮蔑しつつ市民生活を享受し、変わりばえもしない日々を送る頭でっかちの人間、そう、どこの町にも生息する若い大人の一人と。「オタク」という呼び名の方が、「アウトサイダー」よりはふさわしいであろう面々である。むろん彼らもある日ラスコーリニコフに変じないとはいえぬ、ということも含めて、いかにも凡常な現代社会の点景人物と見えるのだ。
 そんなロカンタンの日記に、私はあらためて惹きつけられたのである。そのあれこれの思考を綴った言説の動きは、十分『嘔吐』というノートを価値づけていると思えるのだ。
 では、結局どうなったのか。その評価は如何に、といましばし考えてみたいのである。

#『アウトサイダー』 #バルビュス #『地獄』 #『異邦人』 #『嘔吐』 #『マルテの手記』

「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」

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 三島由紀夫の言葉である。
 最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより、どうやら私の裡にあった三島由紀夫に対する厭悪によるものだったようである。

 評論集『小説家の休暇』で三島は、
ドン・キホーテは作中人物にすぎぬ。セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった。どうして日本の或る種の小説家は、作中人物たらんとする奇妙な衝動にかられるのであろうか。》
と述べている。

 FBの場でドン・キホーテをめぐるやり取りをする中で、中谷光宏氏は、
ドン・キホーテも三島も、端からどれだけ嗤われようと、主観的には自分の行為を微塵も滑稽だと思っていません。しかも、その主観的真剣さと客観的滑稽さの落差が生み出す、いわば「反時代的ユーモア」によって、ドン・キホーテも三島も、笑いを提供しながらも、読者の胸のうちに何か深い倫理的感動をもたらすのです。》
と大変重要な指摘をされた。まさに然り、である。その上で氏は、

三島由紀夫は、サンチョ不在のドン・キホーテという感じもしますね。サンチョがいれば、あるいは自決までいかなかったかもしれません。神輿を担いだり、褌姿になったり、自衛隊体験入隊したり、楯の会を作ったりしていたのは、彼なりにサンチョとの出会いを求めてのことだったようにも思います。》とも述べられたのだ。

 それに対して私は、
ドン・キホーテ、すなわち、アロンソ・キハーノ自身の裡にもサンチョがいるはず、などと考えています。最後の、サンチョ、よく聞けよ、の場面など、まるで自身の俗身に語るかのようにも読めるのでは。》と答え、

《サンチョは我々の裡にもいるのではないか、三島はいざ知らず、我々はドン・キホーテ気取りにさえなりうるサンチョ、そしてまた自らをサンチョと知ったドン・キホーテともいえるのではないか。》などと記したのである。

 さて、そこで冒頭の三島の発言「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」を思い出してみれば、三島もまた、「作中人物たらんとする奇妙な衝動にかられ」たと見えてくるのではないか。

 「日本の或る種の小説家」――私小説作家らが、小説の中で自らを「作中人物」たらんとしたのであれば、三島は、小説の外で自らを「作中人物」に化そうとする「衝動」にかられたのではないか。「ウェルテル効果」が小説の現実世界に与える影響だとすれば、三島は、いわば自作の「ウェルテル効果」を率先して生き、死んだと見えるのだ。

 私は、
《三島その人は知らず、その作品世界は、我々読者をサンチョ――凡常の徒として従えて進まんとしていたかのように見えてきます。無力なる者として老いることを拒んだ作家の世界が、風車に向かって……。》
として、その投稿を締めくくったのである。

 三島よ、「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった。」とは、我々は皆、重々知っているのだ。その上で、あれこれ読み取り、作者と作中人物を繋げたり、切り離したりして、褒めたり、貶したりを勝手に楽しんでいるのが、我々読者である。他の作家たちも同様、知らぬはずはないのだ。
 作者の実生活など、興味はあれど、なおかつ、わざわざ覗きたくもない、と思うのである。睡眠薬を飲んでの入水心中や、太刀を振りかざしての大見得等々で騒がされるなど、御免なのだ。卑俗な好奇心を搔き立てられるのも、全く閉口である。が、
 早く、書棚に収まってくれ。
などと言いながらまた、耳目に入れば度肝を抜かれ、いささか感心もしてしまうが人情。やれやれ、それが、我々読者のサンチョ的在り方なり、と思うのだ。

 こうして、作家の実生活に対する私の嫌悪は、太宰や三島への距離感を増し、また、その表現への注視を唆しもしたのである。
そして今は……何とか、人間誰しも、とまずは驚かずにいられる所までは来たようであるが。

 おいおい、サンチョよ、目の色変えて勝手に何処へ……。

#セルバンテス #ドンキホーテ #サンチョ #三島由紀夫 #太宰治

明治3年の家族

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    浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。父芳柳に寄り添う面々、前妻、後妻、子ら。姿勢、表情、視線がそれぞれの胸中をあらわす。150年前の思いが目に見えるかの様。赤児の顔までが何かを…。

 

愛知県美術館企画展「近代日本の視覚開化 明治」