hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

友の話

今日会った友人は、畜産学を学び、北海道で行政に携わり、定年後はJICAで4年間パラグアイに行き、畜産指導で活躍した人。

その後、息子のいる尾張に移住、さらに終の地として信州へ、と考えているという。見事な人生計画。 一病あれど息災、ならばこそ山間の地へ。最後は田舎の老人施設でゆったりと、と聞いて感心。

その間、福島の浪江町から各地に避難した人々を訪問して繋げるポランティアも1年、という。帰還希望か否かは触れずに、60軒もの苦労話を聞き続けた由。 何よりまずは聞くこと、話すこと、繋がること、と。

50年前の大卒時には1年留年して、オーストラリアへ。滞在先は何とバルト三国エストニアからの移民一家の牧場。老母もいて、大戦前も後も常にロシアの脅威に晒されて来た人々。先年、再訪したところ、老母も主人夫婦も老死し、牧場は人手に渡り、息子、娘らも他へ去っていたという。

が、どこに行こうと人は繋がり、また離れ、生活は持続し、また途絶える、互いの生もかくの如し、と納得。

関東から北海道、北海道からパラグアイ尾張から信濃へ、と続く話を、ファミレスの片隅で聴く。

たっぷりと。

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