hosoyaalonsoの日記

文学懐疑のダンカイ世代

畏友の書いた本

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長年の海外生活、北朝鮮、トンガ、そして上海での経験と見聞、さらにすぐれた見識を込めた一冊。

中には、次のような人間ドラマも。阿修羅のごとく、かつ哀れな一景。

《それからしばらくたって、仲間から牧野さん(仮名)が亡くなったという連絡がありました。脳梗塞か脳血栓だったようです。明美が救急車を呼び、牧野さんが病院に搬送され、医者が手術をするかどうか明美に尋ねたそうです。
「いま手術をすれば助かる可能性は半分。植物人間になってしまう可能性も半分」。
明美は「手術してください」とすぐ答えました。
しかし病院側は明美が彼の妻ではないことを知り「あなたでは契約できません」。
そこで店のマネージャーが会社に連絡を取り、牧野さんの奥さんの電話番号を調べて電話しました。
「牧野さんが倒れて病院に運ばれました。いま手術をすると助かるかもしれません」そう言うと、奥さんは「主人は一人暮らしのはずです。誰が病院に運んだのですか」と尋ねたのです。
葬儀の日、私は友人とともに葬儀会場に出かけました。するとホステスたちが部屋の隅のほうにかたまっていました。私の仲間たちも部屋の隅にかたまり、旧交を温めたり、牧野さんの事件のいきさつの説明をしたりしていました。
「手術させなかったんだって」「鬼婆」「顔が見えないなあ」などと話していました。
やがて順番に棺の前に行き、お別れをする時がやってきました。棺の前には牧野夫人が立ち、お別れの終わった人々に頭を下げています。
ホステスたちは明美を囲み、まるで護衛船団のように棺の前に向かいました。私には牧野夫人が仁王立ちになっているように思えました。
式の最後に夫人が挨拶をしました。
「みなさん、私を鬼のようにおっしゃる方もあると思います。しかし主人は生前から植物人間のようになってまで生きたくないと申しておりました。主人の意思に従い、私は断腸の思いで手術をお断りしたのです。みなさま、どうぞお分かりください。今日はありがとうございました」
牧野さん。いつもカウンターの決まった席で静かにグラスを傾けていた恋敵。私は彼のことを忘れられません。》

どこまでもつらなる世界の片隅、動かしがたい歴史を経た此岸の各地で、あまりにも多くを見てきた者の心は、ここでもそっと抑制され沈黙している。

友の写真がどれも人知れずやるせない思いを語るかに見えてくるのは、私だけだろうか。

そがべ ひろ『上海駐在物語』連合出版